西村京太郎『華麗なる誘拐』(河出文庫)を読む。なんだか新聞の書評などで大変評判がよく、それでつい手に取った。巻末に簡単な書誌が載っていて、1977年にトクマ・ノベルズ、1982年に徳間文庫、1987年に講談社の西村京太郎推理選集、1995年に講談社文庫、2000年に徳間文庫新装版、2004年にトクマ・ノベルズ新装版、で2020年に今回の河出文庫である。いかに人気があるか分る。
「日本国民全員を誘拐した。身代金5千億円を用意しろ」という脅迫電話が首相公邸にかかってきた。支払わなければ人質を殺すと言って次々に殺人事件が起きる。ついで福岡発羽田行き全日空トライスターが海中に墜落し乗員乗客196名が死亡する。機内に持ち込まれた爆弾の爆発によるものだった。
偶然最初の殺人現場に居合わせた私立探偵左文字進が警察に協力を求められ、事件解決に活躍する。事件そのものも誘拐の方法も身代金の受け渡しもきわめてユニークで、人気のあるミステリだということがよく分かった。
でもどこかかったるいのだ。どこがかったるいのだろうと考えて会話だと気が付いた。左文字探偵と警察、犯人との会話で物語が進行する。会話が事件の展開を引っ張っている。その会話がかったるさの原因だ。何がいけないか。会話が糞リアリズムなのだ。西村はおそらく自然な会話を心掛けているのではないか。自然な会話=リアリズムを捨てて本質的、論理的な会話に絞れば引き締まったミステリになるのではないか。
国内版のミステリを読むのは最近7年間でやっと5冊目だ。一色さゆり『神の値段』、連城三紀彦『夜よ鼠たちのために』、東野圭吾『疾風ロンド』、泡坂妻夫『亜愛一郎の冒険』だったが、いずれもイマイチだった。まあ、ル・カレを読んでいればいいのだから。