祝田秀全『近代建築で読み解く日本』を読む

 祝田秀全『近代建築で読み解く日本』(祥伝社新書)を読む。近代日本建築史のつもりで読み始めたら違っていた。タイトルを見れば、そう考えた私が間違っていた。建築を歴史の視点から見るという本だった。それはそれでなかなか興味深く読めた。
 明治維新後、大工の棟梁たちが横浜の西洋建築を見て自分たちの工夫で建てた擬洋風建築。清水建設の2代目が建てた城のような第一国立銀行や築地ホテル館。山梨県から始まった近代小学校建築。山形県に三島通膺が計画した山形県庁舎とその周辺の建築群。県庁舎は下見板張りで外壁は白ペンキ塗り。
 明治5年の大火で銀座一帯が焼け出されたあと、井上馨は銀座煉瓦街計画を打ち出す。この時の道路計画が今もそのまま銀座通りになっている。車道幅も歩道幅も変わっていないという。銀座4丁目の角に朝野新聞の社屋が建っていた。それが服部時計店になり現在の和光になった。
 国会議事堂のてっぺんがピラミッド型をしている理由も探っていく。それは上野の京成電鉄博物館動物園駅の駅舎と共通点がある。この駅舎は皇室の土地に建てられたため、天皇の勅許が必要だった。御前会議では品位に欠けるものであってはならないとされた。これらと共通するのが暗殺された伊藤博文銅像の台座だ。その元型はイスタンブールにあるマウソレウム(霊廟)だという。伊藤博文大日本帝国憲法の起草の中心となった。それで伊藤博文銅像の台座と同じ形を国家器議事堂のてっぺんに採用したのだろうと。
 山田守の建築も高く評価されている。今はない東京中央電信局、御茶ノ水の聖橋、千住郵便局電信電話事務室。この千住の建物は見に行ってみたい。
 最後の章が「帝都に上陸したゴジラが破壊できなかったもの」とされていて、ゴジラは戦没兵士たちの亡霊であり、現人神であった天皇に身をささげて死んでいったのに、天皇は戦後人間宣言をしてしまった。だがゴジラは出征したときの精神で死んでいっているから、皇居を破壊することはない。しかし、この章の論述はあまり面白いものではない。むしろなくもがなといった感想を持った。
 途中、日本生命館(現日本橋高島屋)についての解説がある。写真も掲載されていたので、日本橋へ行った折、同じ角度で私も写真を撮ってきた。

 

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 日本生命館は、中央通りを挟んで、斜め向かい側(現スターツ日本橋ビル)から見るのが良い。というのも角地を活用してR形状をきれいに描きだしているからである。これが正面の顔なのだ。
 だが、中央通りに面する入口に目を向けると、壁全体の中層階に3連アーチを変形させたバルコニーがある。設計者の高橋貞太郎とすれば、ここは建物全体で、いちばんテイストを利かせた意匠だろう。まさにメイン・ステージで、設計者の腕の見せどころだ。
 興味深いのは、バルコニーの上に橋の欄干が載せられ、そこに擬宝珠が付いていることだ。この着想は、どこから来たのだろう。高橋は図面とにらめっこしながら、建物が建つ場所、つまり「日本橋」に閃きを見たのではないだろうか。

 

 

近代建築で読み解く日本 (祥伝社新書)

近代建築で読み解く日本 (祥伝社新書)

  • 作者:祝田秀全
  • 発売日: 2020/04/30
  • メディア: 新書