長谷川修一『旧約聖書の謎』を読む

 長谷川修一『旧約聖書の謎』(中公新書)を読む。副題が「隠されたメッセージ」というもので、旧約聖書の各エピソードの史実性を探りながら、その意味するものを読み解いている。これがなかなか面白かった。
 取り上げられているのは7つの物語。ノアの方舟と洪水伝説、出エジプト、エリコの征服、ダビデとゴリアトの一騎打ち、シシャクの遠征、アフェクの戦い、そしてヨナ書と大魚となっている。長谷川は考古資料や古い文献を参照し、海外の聖書学者などの論文を取り上げながら、聖書の謎に迫っていく。
 終章から、

(……)本書の中で聖書の物語を分析する際に採った方法は、物語に託された本当のメッセージを見出すために「聖書学」という学問が長い時間をかけて発展させてきた方法である。
 本書の中で、史実性の検証と同時に強調してきたことは、物語の中のメッセージを読み取ろうとすることであった。
 ダビデとゴリアトの物語に込められたメッセージとは何だったのか、アフェクの戦いの物語はどうして書かれたのか、ヨナ書はどんな教訓を伝えようとしているのか、など、歴史的事件を描いていると頭から決めつけないで物語自体を読み込むと、一読しただけではなかなか気づかない物語のメッセージに気づくことができるのである。

 ノアの洪水の話は、西アジアで見つかった粘土板のいくつかに刻まれていた。メソポタミアのシュメル人の残した粘土板に、神々が人間を滅ぼすため、地上に洪水をもたらすことを決定したとある。しかし知恵の神エンキはジウスドラにだけこの情報を漏らし、ジウスドラは巨大な方舟を準備する。
 シュメル人の文化は紀元前2000年ごろに衰退する。その後メソポタミアを支配したのは「セム系民族」で、彼らは非セム語であったシュメル語をアッカド語で書き表した。「ギルガメシュ叙事詩」はアッカド語で記された文学作品で、ギルガメシュがウタ・ナピンシュテから大洪水についての体験を聞く。やはりウタ・ナピンシュテは、エアという神から洪水のことを教えられ、1辺60メートルの方舟を建造する。それえに家族・親族、動物たちが乗り込む。
 さらに洪水の話は「アトラ・ハシース」と呼ばれる作品にも登場している。
 そして長谷川はメソポタミア地方を流れるティグリス川とユーフラテス川はしばしば洪水をもたらしたという。それに引き換えイスラエル人が暮らしたパレスチナ地方は地中海に面した地域で、雨が少なく大河がないためメソポタミアのような大洪水が起こることはなかった。
 次の出エジプトでは、古代イスラエル人たち(ヘブライ人)がエジプトへ入ったのはいつかと問い、その後エジプトを出て40年間荒野をさまよい、最後に約束の地であるパレスチナへ辿り着くということの史実を探る。それがいつのことか、またそれは史実かどうかを検証していく。出エジプトの一行は妻子を別にして壮年男子だけで60万人だったと「出エジプト記」には書かれている。
 壮年男子だけで60万人なら全部で250万人の人々が一時に脱出したことになる。これだけの人数が移動するとなると、歩く人間それぞれ前後の間隔を1メートルと計算して横10列に並んで歩いたとしても、全長250キロメートルにも及ぶ人の列になる、と愉快な計算をしてくれる。
 また当時のエジプトのファラオが誰であったか推測する。そして、現在高校の世界史の教科書にも史実として記載されている出エジプトという事件が、史実として肯定も否定もできないと結論付けている。
 こんな調子できわめて興味深い検証と論証が繰り広げられる。聖書学の奥深さも教えられた。長谷川の前著なる『聖書考古学』(中公新書)も読んでみたい。

 

 

旧約聖書の謎 - 隠されたメッセージ (中公新書)

旧約聖書の謎 - 隠されたメッセージ (中公新書)