三島由紀夫『告白』を読む

 三島由紀夫『告白』(講談社文庫)を読む。副題が「三島由紀夫未公開インタビュー」、TBSの社内倉庫から平成25年に発見された録音テープを起こしたもの。三島の『太陽と鉄』などの翻訳者であるジョン・べスターが三島にインタビューしたテープだった。録音日時は1970年2月19日、三島はその9か月後に市ヶ谷の防衛庁で割腹自殺している。最後のインタビューだという。
 テープを「発見した」小島英人が「あとがき 発見のこと」という30ページにわたる発見の経緯を書いている。なんだか大スクープのような書き方だ。
 三島の遺族に手紙を書いて公表の許可を求めた。遺族の返事は「今更公表せねばならないほどの内容なのかどうか」というものだった。小島は重ねて公表すべきだという手紙を書き、遺族が了承した。
 三島のインタビュー記録として無価値だとは思わない。だが発見者の小島が高揚して言い募るほどの内容ではなかった。ゆったり組んでやっと90ページ未満、文庫にしても少なすぎるので、「太陽と鉄」を併録した。
 「太陽と鉄」はあえて読みたいものではなかったので、今まで手を付けなかった。しかし『告白』を読了するためには読まなければならない。読み始めた本は中断することなくすべて読了するのが50年来の私のモットーなのだ。
 「太陽と鉄」は三島の肉体賛歌を主とする心情告白だ。三島は少年時より貧弱な脆弱な肉体を恥じていた三島はボディビルやボクシング、自衛隊への体験入隊などを通じてたくましい肉体を獲得していく。そのことの重要な意味を縷々述べている。

 力を内包した形態という観念ほど、かねて私が心に描いていた芸術作品の定義として、ふさわしいものはなかった。そしてそれが光り輝いた「有機的な」作品でなければならぬ、ということ。
 そうして作られた筋肉は、存在であることと作品であることを兼ね、逆説的にも、一種の抽象性をすら帯びていた。ただ一つの宿命的な欠陥は、それが生命に密着しすぎているために、やがて生命の衰退とともに衰え、滅びなければならぬということであった。

 三島由紀夫という優れた作家が、思想的にはさしたるものを持たなかったという不思議な矛盾が露呈している。

 

 

告白 三島由紀夫未公開インタビュー (講談社文庫)

告白 三島由紀夫未公開インタビュー (講談社文庫)