年末、書類の整理をしていたら、43年前の山本弘さんからの手紙が出てきた。その年1976年はアル中治療のため前年から入院していた飯田病院を1月に退院し、愛子さん(奥さん)によれば断酒している。(断酒はその後2年間も続いた)。断酒の結果、神経がピリピリしたような精神状態が続いた。愛子さんからの手紙によると、DVでお岩さんのような顔になってしまったという。この年の9月に飯田市勤労福祉センターで個展を開き、小品から50号まで52点の油彩を展示した。
8月13日消印の私あての手紙。
カンバスゑのぐありがと
にやついてる
描けると云う事は嬉しいことだ 善哉
10日に来てくれる由
希待してる
午后1時頃搬出を始める 画室の方え来てくれまいか
泉ちゃんに其の旨よろしく。
(※希待=ママ)
次に愛子さんからカミさん宛ての9月27日消印の手紙。おそらく個展の会場で愛子さんへのDVを見たか聞いたかしたカミさんが後日愛子さんに弘さんを批判する手紙を書いた。それに弘さんが反発して、俺の手紙を同封して送るよう言われたと書いている。
二度と
私の前に
現れないでくれ
いづみ殿 山本
さらに愛子さんとカミさんとの間で手紙のやり取りがあったらしく、愛子さんからカミさんに10月2日消印の便せん6枚の長い手紙が届いている。そしてそこに同封された弘さんの手紙。
人間として生きる基本も知らぬ外道が観念のさえづりにうつゝぬかす痴呆さにほとほと愛素も根も尽きた 不純分子は消え失せろ 以后私等との一切の交際を断つ、喝、
愛子さんの手紙には次のように書かれていた。
泉ちゃん、
いつか解ってもらえる日がくると思います、
逢えないでも手紙がなくても、人には心があるのだから
大丈夫ですね。 頑張って生きようね、
(中略)
しばらく手紙止めます、泉ちゃんもそうして下さい。
そうしないと、手紙くる再、しずまった波が又、うねるみたいで
私はどうしようもない気持になります。
(中略)
キリキリとした冬の中で、私は手のひらをあたためながら
一生懸命やって行こうと思っています。
泉ちゃんも。