中村稔『むすび・言葉について 30章』を読む

 中村稔『むすび・言葉について 30章』(制度社)を読む。言葉をテーマにした詩(14行詩)が30篇収録されている。言葉をテーマと書いたが、言葉の本質、機能、生態などの省察を14行詩の形式で表現した詩集『言葉について』20章、『新輯・言葉について 50章』の続編として書かれた。合わせてちょうど100篇になるが、私は『言葉について』のみ読んでいる。本書から「13」番目を紹介する。


利休鼠は猫の狙う鼠の一種ではない。
利休鼠は色の名だ。抹茶の緑を含む灰色のことだ。
城ヶ島の磯に、利休鼠の雨がふる、
そううたわれた雨の色が利休鼠だ。


利休鼠は黒の系統、黒は濃い墨色だ。
鉄色ともいわれる鈍(にび)色もこの系統の色だ。
鈍色が青みをおびれば青鈍、緑をおびれば利休鼠。
淡墨色の灰色でこの系統の色は終る。


私たちの祖先は何とさまざまな色を作り出したことか。
また、それらの色に、何と優雅な言葉で名づけたことか。
だが、雨に色があるか。誰が利休鼠の雨を見たか。


たしかに作者は城ヶ島の磯に利休鼠の雨を見たのだ。
当時、彼の生活は危機にあった。彼の心はすさんでいた。
そのすさんだ心が緑がかった灰色の暗い雨がふるのを見たのだ。


 全編こんな感じの淡々とした作品だ。特に象徴的でも哲学的でもないし、警句風でもない。そこがちょっと物足りない。14行詩はフランスのソネットの形式を取り入れたものだが、ソネットにある押韻がない。日本では立原道造や戦中~戦後のマチネ・ポエティクの連中が採用していた。
 言葉についての詩といえば、川崎洋の「鉛の塀」と田村隆一の「帰途」を思い出す。
 川崎洋の「鉛の塀」

言葉は
言葉にうまれてこなければよかった

言葉で思っている
そそり立つ鉛の塀に生まれたかった
と思っている
そして
そのあとで
言葉でない溜息を一つする

 田村隆一の「帰途」


言葉なんかおぼえるんじゃなかった
言葉のない世界
意味が意味にならない世界に生きてたら
どんなによかったか

 

あなたが美しい言葉に復讐されても
そいつは ぼくとは無関係だ
きみが静かな意味に血を流したところで
そいつも無関係だ

 

あなたのやさしい眼のなかにある涙
きみの沈黙の舌からおちてくる痛苦
ぼくたちの世界にもし言葉がなかったら
ぼくはただそれを眺めて立ち去るだろう

 

あなたの涙に 果実の核ほどの意味があるか
きみの一滴の血に この世界の夕暮れの
ふるえるような夕焼けのひびきがあるか

 

言葉なんかおぼえるんじゃなかった
日本語とほんのすこしの外国語をおぼえたおかげで
ぼくはあなたの涙のなかに立ちどまる
ぼくはきみの血のなかにたったひとりで掃ってくる

 

 

 

むすび・言葉について 30章

むすび・言葉について 30章