林達夫・久野収『思想のドラマトゥルギー』(平凡社)を読む。二人の対談集だが、久野が聞き手となっている。略歴には林が西洋精神史研究家、久野が哲学者となっている。
1974年の発行直後に買って読み、その20年後に読み直し、今回が3回目となる。林の西洋思想や文学、演劇に関する該博な知識にはただ圧倒される。それを久野がちょっとばかしヨイショしながら聞き出している。ギリシアから現代にいたるまで話題は幅広く深い。もう50年も前の対談だから、ある種古びている部分は仕方ないが。
ルカーチについての話題。
久野収 それともう一つ、(ハナ・)アレントで僕が快哉を叫んだのは、ブレヒトが、ジョルジュ・ルカーチとアルフレート・クレラをボロクソに言い、あんな連中の理論に近づいたら作品が書けなくなるといったらしいことです。これは僕の昔からの意見なんですが、ルカーチの『歴史と階級意識』とそれ以前は買います。しかし、それ以後の一切のものは、党直系の文化指導者意識が先に出ていて駄目だと思います。ハンガリー事件以後の最晩年のものは未だ読んでいないから知りませんが……。(中略)
林達夫 (……)ルカーチの弁証法を見ていると、開かれていない。円環になってただ閉じた世界でグルグル廻っているだけで、爽快なスウィング感も絶妙な伴奏リズムの複雑な味もない。少しも輪が大きくならない……。ワルツでも三流オペレッタのワルツだろう。
久野 アンビギュイテというものがないんですよ。
林 それだ。つまり、それは情報理論で言う、大事なredundance(余剰)の不足でもあるね。
(中略)
林 ルカーチが、公然たるマルクス主義者になる以前、まだディルタイなんかの影響をたっぷり受けていた頃のもので『小説の理論』というのがありますね。その仏訳の序文を、死んだルシアン・ゴールドマンが書いているんですが、もっともよきルカーチ、『魂の形式』とこの『小説の理論』にしか触れず、あとは黙殺なんです。ゴールドマンというのは、その点、心憎き奴です。
『小説の理論』はちくま学芸文庫から出ている。リュシアン・ゴルドマンは『人間の科学とマルクス主義』が紀伊國屋書店から出ている。いつか読んでみよう。
- 作者: 林達夫,久野収
- 出版社/メーカー: 平凡社
- 発売日: 1993/06/21
- メディア: 文庫
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