ジル・ボルト・テイラー『奇跡の脳』を読む

 ジル・ボルト・テイラー『奇跡の脳』(新潮文庫)を読む。気鋭の神経解剖学者が37歳で脳卒中で倒れる。発病直後から科学者として自分の症状を見つめ病状の進展から手術、リハビリの経過を追い、脳卒中の影響を患者側から詳しく描いた稀有な書。
 ある朝目覚めたとき、左目の裏から脳を突き刺すような激しい痛みを感じ、やがて手と腕が胴の動きと反対のリズムで前後に揺れ動くのを感じ、激痛が脳の中でエスカレートし、音が異常に大きく聞こえ、体のバランスが崩れ、命にかかわるような重い神経の機能不全に陥った可能性に気づいた。
 右腕が完全に麻痺して体の横に垂れ下がってしまったことから、彼女は自分が脳卒中にかかったことを自覚した。助けを求めなければと考える。彼女ジルは一人暮らしだった。119に相当する緊急番号のことは頭から消え、おぼろに思い出した職場の電話番号らしき数字を紙に書き留め、頭が明晰になる瞬間を待ってダイヤルした。運よく同僚のヴィンセント博士が受話器を取り上げたが、彼が話す言葉が理解できなかった。自分の口から出たのはうめき声に近かったが、博士は私がトラブルに巻き込まれているのを理解した。
 病院でCTスキャンを受けると、脳の左半球に大量の出血があることが確認された。母親が呼ばれ、開頭手術が必要なことが告げられる。
いったん自宅アパートに帰り、2週間たらずで手術に備えるための体づくりをすることになる。その日々が綴られるが、思考が幼児なみに低下している。数字が分からない。ママからお昼にツナサラダを食べるか聞かれて、ツナが分からない。子供向けのジグソーパズルに挑戦するが、全部のピースの表を上に向けることから始まって、端っこのピースを選んで組み立てるようアドバイスされる。色を手掛かりにするといいと言われて、突然色が見えるようになった。しかしこの時のジグソーパズルはたった12枚なのだ。
 大手術が終わった後、目が覚めたときママが話しかけ、私が答えて、手術が完全に成功したことが分かった。ピンポン玉くらいの出血を取り除いたときに、言語中枢のニューロンの一部を取ってしまってしゃべれなくなることを心配していたのだ。
 脳卒中になる前にある大学での公開講座が予定されていた。手術4か月後の公開講座に向けてリハビリを開始する。その過程がくわしく紹介されているが、また左脳に障害を受けて右脳が主になって回復することの経過と意味も語られる。左脳は言葉を操り、順序がわかり、方法を考える。右脳の意識の中核には、静かで豊かな感覚と直接結びつく性質が存在している。平和、愛、歓び、同情を表現し続けている。
 ジルは左脳の回復にあたって、楽天的な右脳の気質を妨げないように心がける。左脳中心に性格づけられてきた人格を、右脳を主体とするようもっていく。本書の後半は左脳と右脳の違いについて、それらをどう調和させるかが多く語られる。左脳に障害を負った脳学者だからこそ、その体験から研究することができたことだった。
 ジルの体験から右脳が楽天的なことが語られる。右脳は「思いやり」を担当している。謙虚な気持ちで平和に恵まれた状態に返るためには、感謝すること。感謝の気持ちを抱くだけで人生はすばらしいものになる。
 本書の題名から脳の機能についての本かと思って読んだが、副題の「脳科学者の脳が壊れたとき」のとおりの体験記だった。期待した内容とは違ったが、これはこれで大変面白く読んだのだった。

 

 

 

奇跡の脳―脳科学者の脳が壊れたとき (新潮文庫)

奇跡の脳―脳科学者の脳が壊れたとき (新潮文庫)