ジョン・ル・カレ『スパイたちの遺産』を読む

 ジョン・ル・カレ『スパイたちの遺産』(早川書房)を読む。すばらしい! ジョン・ル・カレは『寒い国から帰ってきたスパイ』で圧倒的な評価を得、ついで『ティンカー・テイラー・ソルジャー・スパイ』と『スクールボーイ閣下』、『スマイリーと仲間たち』のスマイリー3部作でスパイ小説の大御所たる位置を不動のものにした。その後も『パーフェクト・スパイ』など優れたスパイ小説を次々に発表してきたが、東西ドイツの壁が崩れ、ソ連が崩壊して東西冷戦が鎮火してからは得意とするスパイの出番が消えてしまい、ル・カレは強気にトランプカードがシャッフルされたようなものだとうそぶいて、アフリカや南米などを舞台にした多国籍企業独裁政権の汚れた利権がうごめくシーンを書き続けてきた。
 だが、どの作品も見事な出来栄えを示しているものの、ル・カレの過去のスパイものに比べれば及ばないと言っていいのではないか。しかしすでに冷戦は終わってしまったのだからと(ル・カレのために)残念に思っていたら、本書『スパイたちの遺産』でル・カレの世界が戻ってきた。
 本書は『寒い国から帰ってきたスパイ』と『ティンカー・テイラー・ソルジャー・スパイ』の後日談で、『寒い国〜』で東ドイツの秘密警察に射殺された英国情報部員アレックス・リーマスとその恋人リズ・ゴールドの息子と娘が当時の上司だったピーター・ギラムとわれらが英雄スマイリーを英国議会に告発するという物語だ。スマイリーの行方が分からなく、ピーター・ギラムがアレックスの息子から命を狙われ、告発を受けた英国情報部は当時の事情を明らかにしようとするが、なぜかそれらの資料がごっそり削除されている。
 ギラムは昔の仲間たちを探し出し、濡れ衣を晴らそうとする。すでに遠い過去だった冷戦時代の情報戦が蘇ってくる。なんという巧い手をル・カレは考えたものだろう。さすがに極めて迫真的なスパイ小説になっている。読みながらル・カレの筆力に圧倒されていた。ただ、やはり過去の過ぎ去った事件を取り上げるということで、リアルタイムで書かれていた『寒い国〜』やスマイリー3部作の後塵を拝することになってしまうのは致し方ない。
 スパイ小説ファン、ル・カレファンでなくても十分満足するだろう。ただし、本書は『寒い国から帰ってきたスパイ』と『ティンカー・テイラー・ソルジャー・スパイ』の後日談なので、先にそちらを読むことをお勧めする。それら2冊のネタバレが書かれているのだ。



スパイたちの遺産

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