銀座ニコンサロンで小柴一良写真展「小鳥はもう鳴かない」を見る


 東京銀座の銀座ニコンサロンで小柴一良写真展「小鳥はもう鳴かない」が開かれている(8月28日まで)。小柴は1948年大阪府生まれ、1972年、西川孟写真事務所に撮影助手として入所。その間、土門拳氏の「古寺巡礼1大和編」「女人高野室生寺」の撮影助手を務める。1974年、水俣、出水の水俣病を取材。1979年、帰阪、この年より企業・自治体のCM,広報写真撮影を始める。2007年より各地で写真展を開いている。
今回の写真展に関して、ニコンサロンのホームページから、

40年以上水俣を取材したことから、福島も同じ問題が起きるのではないかと考えていた。福島を仮に公害(?)と言うのであれば 水俣を長年取材した自分が知らん顔をして良いのかといった後ろめたさは、ずっとあった。
2015年明けてすぐに、福島の川内村で葬式の撮影が可能であるという話が舞い込んだ。ロケハンも兼ねて行くことにした。それがキッカケとなり福島通いが始まった。
東電・行政の対応、補償金をめぐる親子・兄弟、あるいは近隣の争い。補償金で高級車を買い、毎日パチンコ通いの人がいる。家を何軒も新築した人がいるという話を耳にする。
また、被害を受けた人の話は避難した先のスーパーのパーキングが満杯で苦労して入れたのに、帰る時は福島ナンバー車の周りは避けられ、ガラガラだった。
福島の人が他県に転居した時、車のナンバープレートから福島の2文字が消えたことにホッとしたという。この様な話に枚挙にいとまがない。なぜ被害者が差別されなければならないのか、多数の利益の為なら少数者の意見などは無視される。それどころか悪口、妬みがあり、そして放置される。半世紀前の水俣とまったく同じ構図ではないか。
1950年頃、水俣の茂道や湯堂集落では海に魚が浮き、猫が狂い、カラスなどが落ちた。その3年後、劇症患者が続発。その2年後、乳児に脳性まひに似た症状が続発した。(1962年胎児性水俣病と診定)
福島の飯館村で老人二人が「近頃、小鳥の声を聴かなくなった」。三春町では春頃になると、車に轢かれた蛇がペシャンコになった姿をよく見たが あまり見かけなくなった。また、最近「竹の色が黄色っぽくなり、緑の鮮やかさがなくなった」といった話を聞く。
人間だけが楽をして、他の生き物の事を考えずに環境を破壊する。近代科学文明の発達は真に人間を幸福にするのか。
福島の傷は深い。目に見える風景は何の変化もない。不気味な静けさの中で「地下世界」では何かが進行しているように思えてならない。
“世の中は 地獄のうえの花見かな”(一茶)
(小柴一良)

 オリンピック招致委員会で安倍首相が放射能はコントロールされていると言ったがとんでもないことだと、写真展を見て小柴の話を聞けばコトの重大さがよく分かる。福島原子力発電所の事故は決して収束してなどいないのだ。小柴は『FUKUSHIMA 小鳥はもう鳴かない』(七つ森書館)を11月に刊行予定だという。そのちらしに書かれたていたことを一部引用する。

優れた技術力で作られた日本の原発は絶対に事故は起きない。官民挙げての言説を繰り返し聞かされ、気がつけば日本国土に54基の原発が作られていた。電力事業者やその周辺の協力者は1つの原子炉につき100万年に1回以下の確率でしか福島クラスのような過酷事故が起きないと推定していた。しかしこの50年でスリーマイル、チェルノブイリ、福島と事故は起きた。
全国の病院で子どもの甲状腺ガンと診断されるのは、年間100万人につき1〜2人。福島県では38万人のうち甲状腺がんと確定したのは162人、悪性の疑いは36人に上る(福島県民健康調査、2018年3月31日現在)。

 原発の運転再開をしてはいけないし、新たに計画している原発も、中止しなければならないことがよく分かる。
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小柴一良写真展「小鳥はもう鳴かない」
2018年8月8日(水)−8月28日(火)
10:30−18:30(日曜休館・8/11〜8/14休館/最終日は15:00まで)
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銀座ニコンサロン
東京都中央区銀座7-10-1
電話03-5537-1469
http://www.nikon-image.com/activity/salon/