筒井清忠 編『明治史講義【人物篇】』を読む

 筒井清忠 編『明治史講義【人物篇】』(ちくま新書)を読む。明治史における重要な人物22人を取り上げ、それを20人の研究者が分担して書いている。1項目が15〜20ページと短い。それでも全体は400ページほどある。短いとはいえ、大項目主義の事典と考えればいいのかもしれない。私も40年ほど前は明治史を含めて日本近代史を読んでいたが、なるほど40年経てば研究は進化する。
 家近良樹が西南戦争において西郷隆盛が敗北した原因を書いている。西郷らが挙兵の理由を、大久保利通らが西郷暗殺の計画を立てたためだとしたので、私憤・私怨のレベルととられてしまい、幅広い層の支持が獲得できなかった。大久保政権の在り方を問うという形で決起しておれば、その後の事態が大きく変わった可能性がある。
 もう一つは、西郷軍が九州路を陸路北上する作戦を採ったこと。熊本で政府軍によって北上を阻止され、これが敗北に直結した。もしこうした方策を採らずに軍艦を確保して、それに西郷らが同乗し、ただちに天皇のいた京阪地域に直航するか、もしくは東京に向かい、それぞれの地に到着したあと、すぐに自分たちの主張を明治天皇三条実美岩倉具視ら政府首脳に訴える方策を採ったら、その後の彼らの運命は大きく変わった可能性がある、と。
 また乃木希典について、日露戦争の旅順攻囲戦での指揮の拙さから多くの兵隊を犠牲にしたという「乃木愚将論」が一般常識のようになっている。筒井清忠は、これは司馬遼太郎の『坂の上の雲』による影響が大きいという。司馬は谷寿夫の『機密日露戦史』に依拠している。ところが谷の参照した資料は、乃木第三軍の伊地知幸介参謀長ら乃木側の参謀の記録は皆無で、反伊地知側のものが大部分を占めた。谷の乃木批判は、薩摩閥からの乃木・長州閥攻撃の一環と見られるという。現在研究者の間では司馬批判の方が優勢だとしてその参考文献を挙げている。
 さらに筒井は乃木の詩才を強調する。中国の詩人郭沫若は乃木の詩「金州城下の作」を日本人が作った漢詩中の最高傑作であると言いきっているという。

   金州城下の作
山川草木転(うたた)荒涼
十里風腥(なまぐさ)し 新戦場
征馬前(すす)まず 人語らず
金州場外 斜陽に立つ

 地味な本なのに、これまた面白かった。