昨日アップした山本弘の作品解説(79)「削道AB」に関してティーグル・モリオンさんがコメントを寄せてくれた。短いがとても的確なコメントだと思うので、ここに再録させていただく。
これは実物を拝見したい作ですね。この地の部分はどういう塗りなのでしょう? バックの処理もそうですが、コンポジションのバランスが少し異色な気もします。
山本弘の多くの作品は、その底流にあるのが写実精神であることから、絵画の構成においては非常にノーマルな重力的安定を成立させている印象がありますが、時々現れるこうした画面上の或る種の遊びもまた興味深い特徴の一つですね。
同題の赤い三角形に近い構図のものを一度見ています。家族を描いた百号か八十くらいの大作と共に確か京橋の戸村(美術)に出されたように記憶していますが。
「削道」は造語の可能性もありますが、「索道」の誤記乃至慣用かなとも考えます。
この「山本弘の多くの作品は、その底流にあるのが写実精神であることから、絵画の構成においては非常にノーマルな重力的安定を成立させている印象があります」という見解はまさに山本弘の絵画について正鵠を射ているのではないか。誰もこのように語った人はいなかった。
「底流にあるのが写実精神」、「絵画の構成においては非常にノーマルな重力的安定を成立させている」、こう指摘されて、そうだったのかと深く納得した。重力的安定を成立させている。すばらしい指摘だ。
山本は映像記憶にとても優れていた。子供のころ遊んだ親友の家を30年後に作品として再現したり、電車の中で見かけた女性を帰宅後デッサンしたり、家に遊びに来た女性にひょいと麦わら帽子をかぶせ、彼女が帰ったあと油絵にしたり、仲間たちで東京からモデルを呼んでクロッキー大会をしたときも会場では何も描かずに酔っ払ってへらへらしていて、後日見事に再現したりしていた。ページ左上の私を描いた絵も一切ポーズを要求されたことはなかった。強い映像記憶によって古い映像も自由に呼び出し、それをもとに造形していったのではないだろうか。「写実精神」と言われたが、それは実際に経験した「モノ」を再現したということなのだろう。現実のモノだったから重力的安定が底流にあったのだろう。
いつかティーグル・モリオンさんによる山本弘論を読ませてもらえないだろうか。