太田博樹『遺伝人類学入門』を読む

 太田博樹『遺伝人類学入門』(ちくま新書)を読む。副題が「チンギス・ハンのDNAは何を語るか」という興味深いもの。何年か前にチンギス・ハンの遺伝子が広くアジアからヨーロッパに拡がっているという説を読んだことを思い出した。モンゴル帝国がアジアを席巻し、ヨーロッパへも攻め入った結果、モンゴルの兵士たちは蹂躙した国々の女性たちを略奪した。しかし極上の美女はチンギス・ハンに献上して、その結果様々な民族の女性たちがチンギス・ハンの子どもを産み、その遺伝子が広く各地に広がっているという話だった。日本には分布していないとも。
 本書を読む前に筑摩書房のPR誌『ちくま』2018年6月号に斎藤成也による本書の紹介が載って、まずそれを読んだのだった。

 第1章では遺伝子やDNAの基礎が、第2章では、人類進化の研究が化石一辺倒だった時代から次第にDNAを比較する研究が始まっていった、人類進化学の歴史が語られている。系統樹の説明が第3章ではかなりくわしく描かれており、中立進化と非中立進化が第4章で論じられている。第5章は、類書で論じられることが少ない、移住パターンの男女差を扱っている。ミトコンドリアDNAとY染色体のデータがここでは使われている。本章の後半では、日本人の起源についても簡単に論じられている。
 第6章で、いよいよ本書のサブタイトルであるチンギス・ハンのDNAが登場する。ただ、前半は太田さんが大学院生時代に手掛けた古代DNA研究の紹介が中心であり、ようやく最後に近づいたところで、英国の研究者が2003年に発表した、チンギス・ハンのY染色体系統を発見したとする論文を紹介している。ところが2015年に発表された論文では、この系統の誕生したのは、チンギス・ハンの誕生よりも前だろうと推定しているのである。このあたりの問題は、昨年の10月に雑誌「科学」のシルクロード特集で、私が小文(科学87巻、963−965頁)を発表しているので、興味のある方は見てほしい。

 斎藤のその論文を読んでみた。

過去3000年以上にわたり、遊牧民族シルクロードをかけめぐった。それにともない、征服王朝をたてた勝者のDNAも拡散していった。2003年に発表された、中央アジアの多数集団のY染色体をくわしく調べた論文は、中央アジアだけで8%近くに達する頻度をもつ独特の系統が、チンギス・ハーンのもっていたY染色体だったのではないかと主張した。しかし2015年に発表されたより詳細な研究結果は、この系統を見いだしたものの、その発生はもうすこし古く、契丹(遼)時代かもしれないとしている。そもそも、このような系統が発生した年代推定には大きな誤差がつきものである。実際に現在から951年前(西暦11世紀)という点推定の95%信頼限界は、212年前〜3826年前(19世紀から紀元前19世紀)であり、幅がありすぎる。このY染色体の系統は匈奴やサカイの王族が発端だったかもしれない。チンギス・ハーンという個人のY染色体中央アジアに広くひろがったとするのならば、彼の子孫であることを誇りとしている男子多数のY染色体を調べるのが、正統的な方法であろう。

 太田博樹『遺伝人類学入門』を読む。遺伝人類学という地味な学問が初心者にもなんとか分かるように書かれている。いや、かなり難しかったが。チンギス・ハンの遺伝子は末尾でようやく触れられている。おそらく編集者の勧めで販売促進のために書かされたのだろう。

 (イギリスの研究者)クリス・テイラースミスらは、こうしたモンゴル帝国が支配していた地域と、その周辺の地域約50カ所でチンギス・ハンのY染色体と推定したY染色体タイプの頻度を調べました。その結果、モンゴル帝国の支配地域ではこのY染色体が見つかるのに、そうでない地域、たとえば日本列島とか中国大陸の南の地域では見つかりませんでした。そして、現在のモンゴル人民共和国中華人民共和国内モンゴルでは25パーセントほどの高い頻度で見つかったのです。

 しかしその結果については斎藤の論文がチンギス・ハン個人の遺伝子であることには否定的だった。ただ、私もこの副題がなかったら本書を手に取ることはなかった。おかげで遺伝人類学と言う分野の端緒を知ることができたのだった。


遺伝人類学入門 (ちくま新書)

遺伝人類学入門 (ちくま新書)