内藤啓子『赤毛のなっちゅん』を読む

 内藤啓子『赤毛のなっちゅん』(中央公論新社)を読む。副題が「宝塚を愛し、舞台に生きた妹・大浦みずきに」とあり、宝塚のトップ俳優だった大浦みずきについて、その一生を姉の内藤が書いた伝記だ。大浦みずきは2009年に53歳で肺がんのため亡くなった。
 私は宝塚にも大浦みずきにも特に興味があるわけではなかったが、先日読んだ内藤啓子の作家であるお父さんの伝記『枕詞はサッちゃん』が良かったので、妹の伝記も読んでみようと思ったのだ。お父さん阪田寛夫は「サッちゃん」の作詞家として有名だが、芥川賞も受賞した作家だった。阪田は宝塚が好きで娘を宝塚に入団させることになる。大浦みずき花組男役トップスターを務めた。
 大浦は宝塚を退団したあと、ミュージカルや芝居、踊りで活躍するが50歳を過ぎてから体調不良を訴え、しかし西洋医学が嫌いで鍼灸などに頼っているうちに、肺がんが発見されたときはすでに手術ができないステージまで進んでしまっていた。
 本書は子ども時代から、宝塚入団、花組の華やかな時代、退団して独立してからの活躍を舞台を中心にていねいに記述していく。どんな演目に出演して誰と共演し、演出が誰であったか、舞台の評判はどうであったかと。私は宝塚を見たことがないし、個々の団員についても全く知らないのに、著者の妹に対する情熱からか読んでいて退屈は感じなかった。
 最後の4分の1くらいが闘病記になる。本書の冒頭に葬儀の模様が書かれている。そこに喪主を務めた内藤の挨拶が掲載されている。その一部を引く。

 憎むべきは癌という病気ですけれども、ただ一つ感謝していることがございます。私と妹は4歳違いで二人きりの姉妹ですが、幼いころは喧嘩三昧、少し大きくなってからは妹はバレエの稽古で帰宅の遅くなる毎日。中学を卒業して、やっとこれから少しまともな話ができるかなと思えば、宝塚に入り家から出ていってしまいました。それからは宝塚の皆さん、ファンの皆さんと過ごした時間のほうがはるかに長かったと思います。なんだか宝塚に妹を取られてしまったような寂しい思いをしたものでした。この1年は妹と向き合い、色々な話をすることができました。痛みに苦しむさまを見るのはつらかったですし、治療法を巡り大喧嘩もいたしました。それでも穏やかな日々もあり、初めてお互いの思いがわかり、たくさん話をすることができた時間は貴重でした。病気が与えてくれた唯一の恵みだと思っております。

 最後の4分の1がその妹との充実した日々(という言い方もおかしいが)を描いていて、読んでいて引き込まれた。徐々に悪化していく妹の病状とそれに向き合って励ましている姉の姿。しかし姉は妹の癌が不治であることを知っているのに。
 文中に大浦みずきが出演した『ナイン』の演出家T.P.Tのデヴィッド・ルヴォーの弔文も載っている。ルヴォーの弔文も大浦みずきへの愛情のこもった良い文章だ。
 肺がんは確実に進行し、ついに亡くなってしまう。「おかずに昆布と海苔の佃煮が欲しいな」「じゃあ明日買ってくるね、バイバイ」それが姉妹の最後の会話になった。読みながらほとんど涙ぐんでしまった。
 姉が亡くなった妹について書いている。とても良い伝記だ。ただ、姉は妹のことを悪くは書けない。舞台生活や私生活の葛藤、俳優としての評価は姉が書けることではないだろう。とはいえ、それがちょっと不満だったのも確かだ。私の好きな伝記で言えば、立原正秋の伝記は親友だった高井有一が書いているが、立原が生前自称していた日韓混血だったということを否定して両親とも朝鮮籍だったことを明記しているし、瀬戸内寂聴は『孤高の人』で大先輩の湯浅芳子についてその欠点も容赦なく書いている。しかし高井の伝記も瀬戸内の伝記も取り上げた先輩への愛情が強く感じられて気持ちの良いものだった。


赤毛のなっちゅん―宝塚を愛し、舞台に生きた妹・大浦みずきに

赤毛のなっちゅん―宝塚を愛し、舞台に生きた妹・大浦みずきに