北斎の肉筆画

 今週初めに知人の画家の個展のオープニングパーティーがあった。パーティーの会話のなかで北斎の名前が出ると、参加していた老画家Kさんが僕のところにこんなのがあるよと1枚のカラーコピーを取り出した。長い1本の竿を担いでいる男が描かれている。画面を左下から右上に引かれた竿の線は見事で半端なものではないと思わせた。
 Kさんが、若いころ由良哲次という学者から頂いたものだと言った。Kさんのお父さんが印刷業をしていて由良哲次と親交があった。お父さんの用事で由良さんの家を訪ねると玄関に見事な絵があった。その絵に圧倒されて立ちすくんでしまった。由良がそれは蕭白だと言い、君はこの絵の良さが分かるのかと訊かれた。分かるも何も凄くて声も出ませんと答えた。室内に案内されるとさらに素晴らしい若冲か何かの屏風があった。Kさんは由良に気に入られてこの絵をもらったのだったが、君はお金に困ったら売り払いそうだからと、その場で絵に賛を書き込んだ。
 Kさんが披露したコピーには隅に北斎為一の署名がある。北斎の肉筆のようだった。Kさんは僕のところにそんなすごいものがあるはずがないと言われる。だが絵の格はすばらしいものだ。
 Kさんが続ける。由良哲次は戦前に書画骨董を収集していて、晩年に京都府立美術館にそれらを大量に寄贈し、由良哲次コレクションが作られているようです。帰宅して由良哲次を調べてみた。Wikipediaによれば、「由良哲次は日本の歴史哲学者、日本史家、美術史家、浮世絵蒐集家。横光利一の『旅愁』のモデル」。さらに、「利殖の道に明るく、奈良県新沢千塚群集墳保護のため奈良県に私財1億円を寄付した他、奈良県橿原考古学研究所に3億円の寄付をおこない、由良大和古代文化研究基金を設置した。1979年、食道癌のため東京大学医学部附属病院で死亡。彼が蒐集した美術品の数々は、死後、奈良県立美術館に寄贈された。遺産の総額は時価10億円を超す」とある。Kさんの北斎は確かな筋から伝来したものだった。
 由良という名字は珍しいので、もしやと思ってWikipedia由良君美を引いてみた。やはり由良君美は哲次の息子だった。君美は東大教授で比較文学などを教えていた。高山宏四方田犬彦を育てている。以前、由良君美の『みみずく偏書記』をブログに紹介したことがある。また四方田が由良との交流を描いた『先生とわたし』も読後感想文をここに載せている。君美には感心しなかったが、四方田の本はとても良かった。


由良君美『みみずく偏書記』を読む(2012年7月19日)
「先生とわたし」を読む(2011年9月2日)