今野真二『かなづかいの歴史』(中公新書)を読む。目次を見ると、「仮名の成立とかなづかい」「平仮名で日本語を書く」「片仮名で日本語を書く」「中世から近世にかけてのかなづかい」「明治期のかなづかい」「『現代仮名遣い』再評価」となっている。
本書から、
西暦1000年頃に、「ハ行転呼音(てんこおん)現象」と呼ばれる、日本語の音韻に関わる大きな変化が起こった。発音と仮名の使い方との関係については、この変化以前と変化以後とでは状況が異なる。
変化以前では川は「カハ」と発音していた。童を仮名で「ワラハ」と書いているのもそのように発音していたから。この現象は、「語中尾(語頭以外の位置)にあったハ行音がワ行音に変わった」と説明されることが多い。当時は「ハ・ヒ・フ・ヘ・ホ」を「ファ・フィ・フ・フェ・フォ」と発音し、その「ファ」は「ワ」に近づいていく。
次いで、
「ハ行転呼現象」が起こったのと同じ西暦1000年頃、ア行の「オ」とワ行の「ヲ」とが一つになった。また、1100年頃にはア行の「イ」とワ行の「ヰ」とが一つになり、同じ頃、さらにア行の「エ」とワ行の「ヱ」とが一つになったと考えられる。こうして、日本語で使っている音は47から3つ減って、44になった。
1000年も前に、「オ」と「ヲ」とが一つになったなんて驚いた。45年前に入社した会社で読み合わせ校正をしていたとき、「ヲ」と発音したのに通じなくて驚いたことを思い出した。当時東京出身の同僚たちはみな「オ」と「ヲ」を区別しなかった。私の田舎ではこの二つは発音が別だった。それは1000年以上前の発音だったのか。わが故郷長野県伊那谷は平安時代の言葉がよく残っているとはその後知ったことだったが。
古典的かなづかいでは、藤原定家や「定家かなづかい」にふれないものはないといってよい、と今野は書く。「定家かなづかい」について、
「鎌倉時代に藤原定家が「定家かなづかい」を考案した。それはその後主流となっていったが、江戸時代になって、契沖(1640〜1701)がそれに批判を加え、確かな証拠をもって「歴史的かなづかい」を唱え、今度はそれが次第にひろまっていって、明治期には「歴史的かなづかい」が標準的なかなづかいになった」というのがこれまでの「かなづかいの歴史」の「あらすじ」であろう。
そのあらすじに対して今野が批判を加えている。しかし、それはきわめて細部にわたり、私のような部外者には煩雑で分かりにくい。いや、今野の仕事・分析はただただ見事なものなのだが。
こんな発言もある。
……「ん」はそもそも文字ではなく、何らかの発音を表す記号である。そうしたことからすれば、現在、小学校の教科書に載せられている平仮名の一覧表のような表の中に「ん」が含まれているのは、(やむを得ないこととはいえ)「ん」が仮名であるという誤解を招く。
「ん」が仮名ではないなんて、これまたびっくり。
私は丸谷才一のエッセイを好んで読んできた。丸谷は一時期から自分の仮名表記を「現代かなづかい」から「歴史的かなづかい」に変えている。ところが本書を読んで、そのいわゆる「歴史的かなづかい」も確定的なものではなく、人によって時代によって揺れ動いていることを知った。私はどこかでわずかに「現代かなづかい」に後ろめたいものを感じていたが、かなづかいに絶対的なものがないことを知れば、このまま現代かなづかいで通していっても良い気がしてきた。
- 作者: 今野真二
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2014/02/24
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