横木安良夫『サイゴンの昼下がり』を読む

  横木安良夫サイゴンの昼下がり』(新潮社)を読む。横木は篠山紀信のアシスタントを経てコマーシャルカメラマンとして独立する。巻末の略歴によると、「94年初めてヴェトナムを訪れて、その虜になる」とある。本書はそのヴェトナム紀行。写真と文章が半々くらい。
 ところが写真説明が、巻末にまとめて置かれていて、その文字の大きさが写植の7級くらいの小ささなのだ。7級の文字って振り仮名のルビの大きさだ。読みづらいことこの上もない。文句を言いたいのが、この写真説明が面白くて、説明なしでは写真の魅力が半減してしまうからだ。

 このページの写真説明は下記のごとし。

上  ハ・キュ・アイン(20)。元ミスヴェトナム。祖父は外務省ナンバーツーであったハ・バン・ラウ。元軍人の彼はインドシナ戦争終結の際に、ジュネーブで停戦調印にも出席した政府要人。その孫娘がミスヴェトナムの栄光を引っ提げ、売れっ子モデルとして活躍。日本の雑誌にも何度も登場している。身長171センチ。気ぐらいの高い、ちょっと生意気な女性。企業の株などを持っていて、年収は普通のヴェトナム人の約100倍。背後の路上理髪店は日本円で約50円。髭をそってもらっているのが、僕の友人の通訳氏。H・M・C。トンドゥクタン通り。
下  ジェン・フォン。ハノイで一番売れている女優。89年のデビュー以来、映画の主演作は50本以上。CFも現在流れているだけで10本あまり。それに70種類のカレンダーも飾っている。「仕事が忙しくて、ほとんど家にいないんです。いても、寝るだけなの」。母親と妹、それに6ぴきの犬と一緒に暮らす自宅には、自然光が差し込む美しい中庭、それを囲むようにリビングルームと、ベッドルームが3つある。一部屋は、彼女の衣装部屋。この贅沢な自宅の他にも一軒家があるという。

 横木はカンボジアを訪ねてロバート・キャパ終焉の地を捜した。結局その地を特定できたわけではないが、おそらくこの辺りだろうというところまで絞り込むことができた。キャパと一緒に一ノ瀬泰造を語っている。『地雷を踏んだらさようなら』の一ノ瀬だ。一ノ瀬は日大で横木の先輩だった。横木がコマーシャルの世界へ進んだのに対して、一ノ瀬は報道写真の道を歩んだ。
 一ノ瀬はベトナムカンボジアに渡り、フリーの報道写真家として戦争を撮っていた。しかし、横木によれば報道写真家にとって、ヴェトナム戦争が一番価値があったころは、一ノ瀬より一世代前の写真家沢田教一の時代だったという。沢田はピューリツア賞やロバート・キャパ賞を取っている。遅れてきた戦争カメラマン一ノ瀬の取材中にアメリカ軍がヴェトナムから撤退した。南ベトナム政府軍の側から撮影した一ノ瀬の写真は、アメリカ兵もわずかしか登場しない。それらは安く買い叩かれた。一ノ瀬はポルポトの支配するカンボジアに潜入し捕えられて処刑された。
 横木は一ノ瀬に対して冷静な態度を崩さないように見える。しかし、後日、一ノ瀬の両親がTBSの取材陣とともにカンボジアに入り、一ノ瀬が埋められていた場所を突き止め、父親が泥にまみれた遺骨を川で洗う姿の写真を図書館で見て、横木は「思わず涙がポロポロと流れてしまった」と書く。
 本の表紙はホーチミン市(旧サイゴン市)の中心部の通りを横断するアオザイ姿の女性。偶然見かけて200ミリの望遠レンズで後姿を追ったが見失ってしまう。この写真はJALのポスターに採用された。
 ヴェトナムの首都ハノイは漢字で書くと河内だという。ヴェトナムも元来漢字文化圏だった。河内音頭ハノイ音頭なのか。


サイゴンの昼下がり

サイゴンの昼下がり