カルヴィーノ『レ・コスミコミケ』を読む

 イタロ・カルヴィーノレ・コスミコミケ』(ハヤカワSF文庫)を読む。カルヴィーノはSFも書くが、むしろ純文学作家だ。イタリアで純文学という言い方もおかしいが、前衛的な奇妙な小説を書いている。その『冬の夜ひとりの旅人が』は以前このブログでも紹介した。
 本書には12の短篇が載っている。SFではあるが、ほら話の要素も強い。どの短篇にもQfwfqという名前の人物が出てくる。「月の距離」は、むかし月と地球の距離が大変近く、近づいたときには海に浮かべた舟から月に飛び移れたと書いている。月の引力で地球から吸い寄せられたものを月から持ち帰って収穫した。
 「ただ一点に」は、現在拡散を続けている宇宙が拡散を始める前の1点に集中していたときの話だ。QfwfqもPベルt・Pベルdのようないやな奴も、Ph(i)Nko夫人とその彼氏のデ・XuアエアuX、移民のZ'zuとかいう一家なども1点にひしめき合っていた。そしてPh(i)Nko夫人だけは誰からも好意を持たれていた。しかし、皆が1点に雑居していたのだった。Ph(i)Nko夫人が言った。「ねえ、みなさん、ほんのちょっとの空間(スペース)があれば、わたし、みなさんにとてもおいしいスペゲッティをこしらえてあげたいのにって思っているのよ!」。そのとき誰しもがそのスペース――空間なるものを思い浮かべてみた。彼女の腕が前へ後へと動いて麺棒を転がし、粉だらけの腕がまめまめしく働き続けている、その空間を。そして粉をつくるための小麦を、小麦を育てるための畑を、またミートソースに変る仔牛の群れのための牧場を、それらが占める空間をみなが思い浮かべたものだった。しかもそれを思うと同時にこの空間は瞬時に拡散していった。何百光年、何万光年、何十億光年といった距離で拡がっていった。
 「光と年月」は、わしが天体観測を続けていたとき、1億光年の距離にある星雲から1本のプラカードが突き出ているのに気がついた。それには、《見タゾ!》と書いてあった。

……わしは急いで計算をした。その星雲の光は1億年かかってわしの目に届いたのであり、またむこうではここで起きたことを1億年も遅れて見たわけなのだから、彼らがわしを見たというその瞬間は2億年以前のことでなければならないわけだ。

 わしは早速プラカードを突き出して返答しようとしたが、《ワシノ言イ分モ聞イテクレ》か、《オ前ダッテアアスル他ナカッタロウサ》か、《スッカリ見タノカ、チョットダケカ?》か、《本当カ? ナラ、ワシハ何ヲシテイタ?》のどれにするか迷い、結局、《ソレデ?》というプラカードを突き出した。それらのことに関するほとんどナンセンスなわしの考察がるる述べられている。
 ほら話SFとして、スタニスワフ・レムの『泰平ヨン』シリーズに似ているが、レムのほうがより哲学的で興味深い。本書の前編として『柔かい月』があるというから、いずれそちらも読んでみたい。



レ・コスミコミケ (ハヤカワepi文庫)

レ・コスミコミケ (ハヤカワepi文庫)