小島剛一『漂流するトルコ』を読む

 小島剛一『漂流するトルコ』(旅行人)を読む。副題が「続「トルコのもう一つの顔」」とあり、中公新書の『トルコのもう一つの顔』の続編。前著が1991年に発行されているが、その前に小島はトルコから国外追放になっている。
 その後国外追放が解除されて小島は再びトルコを訪れて少数民族の言葉を研究する。しかし相変わらずトルコ政府からの迫害が続く。それら理不尽な妨害に対処して研究を進め、報告書をまとめ、しかし小島の書いた内容が現地の学者と称する連中から不当に改ざんされ、それが小島の名前で出版されてしまう。
 小島はラズ語に焦点を絞り、トルコ国内でまずラズ語民謡集を刊行し、ついでラズ語文法書を共同執筆し刊行する。
 それに対してトルコのさまざまな諜報機関が介入してくる。JiTEM(トルコ軍諜報部)、MiT(トルコ政府諜報部)、それに警察等。私は何を読んでいるのか、スパイ小説を読んでいたのだろうか。トルコ諜報機関員は小島が住むフランスのストラスブールにも現れる。
 言語がテーマの本を読んでいるとは思えないほどの面白さだ。しかもこれらはノンフィクションである。前著以上の面白さだ。
 小島は音楽に関しても優れた才能を持っている。トルコ少数民族の民謡を採譜したときのことが書かれている。「歌の上手なラズ人は、どこの横丁にも、どこの村にもたくさんいる」。民謡か自作の歌を所望すると大喜びで歌ってくれる。

先に歌詞をゆっくり書きとめさせてもらい、次に歌ってもらっている間に採譜する。手持ちの紙に五線を書きなぐっておいて音符を乗せていくのだが、大概の歌は2番、3番…5番……と続くから、一通り歌ってもらった頃には装飾音符もきれいに付けられる。採譜したとおりに歌ってみて、間違いないかどうか確認してもらう。この時のラズ人の反応が面白い。
「この曲……前から知ってたはずは……無いよね」
「ええ、今初めて聞いて書き取ったばかりです」
「細かいところまで俺の歌い方そのままだ。こんなこと、初めてだ。誰だって3日も4日もかけて何度も何度も繰り返してやっと覚えて、それでも同じように歌えないのが普通なのに」

 バイリンガルについての小島の示唆的な意見が記されている。

……1980年代には若者も子供も皆ラズ語を話していたのに、「ラズ語を話すとトルコ語を習う妨げになる」という誤った考えで子どもにラズ語を伝えず、トルコ語だけで育てようとする親が増えているのだ。世界中どこでも、乳児期からの2言語併用あるいは多言語併用は、よほど*下手なやり方をしない限り、長じて得になりこそすれ、損になることは無い。

 *を付した「下手なやり方」について脚注が示されている。

*下手なやり方の2言語併用
 ドイツに移民したトルコ人の2世代目に「トルコ語もドイツ語も満足に話せず、自由に思考し話せる言語が無い」悲劇的なケースが多数ある。学校教育では必然的に落ちこぼれになり、就職も結婚も至難のことになる。トルコ人移民同士でしか交際のない環境で親をはじめとする大人たちがさまざまな段階のドイツ語交じりのトルコ語を話し、子供に両言語をきちんと区別して話すしつけをしなかったため、子供はドイツ語能力もトルコ語能力も十分に獲得することができなかったのである。周りの大人が場面によって言語をはっきり使い分け、子供にも使い分けさせるように教育している家庭では何の問題も起こらなかったのだが。

 最後に、国外追放になった小島をイスタンブール空港で警察官たちが監視している。お前、国外追放だなんて、いったい何をしでかしたんだ。『ラズ語文法書』を刊行した直後からMiTにつきまとわれたと答えると、俺はラズ人なんだよ、お前ラズ語が話せるのか? 小島はその質問をラズ語で言ってくれればこたえられると言う。どういうことだ。
 それに対して小島は、ラズ語は方言によって「私が話す」は様々な言い方があると言って、実際にそれを話してみせる。あなたがどの方言を話すのか分からないと話の始めようがないと言うと、警官は「こりゃあ驚いた。先生は、ラズ語の本当の専門家だね」と、お前が先生に昇格してしまった。数時間後引き継いだ警官たちと話しているうちに、先生が閣下に変わる。
 感動的な本を読んだ。


漂流するトルコ―続「トルコのもう一つの顔」

漂流するトルコ―続「トルコのもう一つの顔」