永六輔『職人』を読む

 永六輔『職人』(岩波新書)を読む。1996年初版発行、先に永が亡くなったためか、書店で平積みになっていた。私が購入したのが2014年発行の26刷りだった。人気のある著者のロングセラーだ。
 永は通産省が禁止した曲尺鯨尺を職人たちに届けるために、逮捕覚悟で売って歩いた。その際、全国の職人たちから強く支持され、その職人たちの言葉=職人語録を収録した。それが全体の3分の1を占めている。その一部を、

「〈私もいっぱしの大工になりました〉って威張っている職人がいたけど、〈いっぱし〉というのは〈いちばんはしっこ〉ということなんだよね。
威張って言う台詞じゃない」


「子供は親の言うとおりに育つものじゃない。
親のするとおりに育つんだ」


「彫り3年、研ぎ4年。
女房貸しても砥石は貸すなって教えられました」


「職人が〈何かすることありませんか〉なんて言うな、おまえ。
すること探して、黙ってやってろ!」

 なるほど、職人の言葉は常識とはちょっと違って興味深くおもしろい。ただ、職人のユニークな言葉を集めてはいるが、そのことへの総括がない。それがちょっと不満だ。
 職人語録が3分の1、残りが対談と講演録だ。講演録と言っても実は講演のための原稿なのだが。しかし、永がきちんと書いた論文がない。講演も論理的に語っているのではない。そのことは永も自覚している。
 以前毎月1回散髪に行っていた。いつも土曜日の午前中に行った。私が通っている床屋ではその時間、ラジオで永六輔がパーソナリティの番組を流していた。永のおしゃべりは聞いていて飽きることがなかった。おしゃべりが永の本領なのだろう。本書はあまり評価できる出来ではなかった。18年間で26刷りというのはもっぱら永の人気によるものなのだろう。
 永の人気で印象に残ったことがあった。もう20年以上前だろうか、両国の劇場シアターXへ芝居を見に行ったときのこと、数列前の席に永が座っていた。途中休憩時間が15−20分ほどあった。その間、永は手洗いに立つこともなく、じっと自分の席でしかも両膝の間に顔をうずめていた。少々異様な姿勢だった。おそらく永六輔と気づかれるとファンたちからサインや握手を求められ、それを避けるための姿勢だったのだろう。
 本書の中で1か所とても興味深いエピソードがあった。永は蕎麦猪口が好きで集めていた。京都で陶芸家の河合寛次郎の散歩のお供をしたとき、ある古道具屋の店先に蕎麦猪口が置いてあって、いいなと思うのがあった。河合がいくらなら買う? と聞くので、千円くらいかなと思ったが、「1万円でも買います」と答えた。「あっ、そう。ちょっと聞いてごらんよ」。古道具屋は5百円だと言った。嬉しさを隠して5百円で買ってきた。河合先生が「どうした?」というから、「5百円」だったと答えて歩き出したら、「待てよ、君、5百円で買ったわけじゃないだろうな」「いえ、5百円というから、5百円で買いました」「君はさっき、1万円で買うって言わなかった?」「1万円で買うって言いましたけれども、5百円ですって」「それはわかったけど、そう言われて5百円で買ったのか」(中略)「何で自分の言葉に責任をもてないの。1万円で買わなきゃ、買い物にならない」「だって、5百円って……」「そういうもんじゃない。自分で1万円で買うって言った以上、1万円で買わなきゃいけない。買物ってそういうもんなんだ。君を見損なった」。それで永は店に戻って、主人がそんなわけにいきませんと言うのを無理に1万円払ってきた。
 それに対する河合の言葉、「……いいなと思ったら、それはそのモノに負けたことなんだ。負けた以上は、負けた人間として勝った相手に礼を尽くさなきゃいけない。しかも君は1万円と自分で言ったのだから、1万円で買うのが礼儀だろう」
 「わかりました。1万円で買ってきたから言わせてもらいますが、もし向こうが10万円と言ったらどうするんですか」「10万円と言われたら、君、毎日通って、1万円まで値切りなさい。キミがつけた値段なんだから」



職人 (岩波新書)

職人 (岩波新書)