アンドーギャラリーで中沢研展を見る

 東京江東区木場公園近くのアンドーギャラリーで中沢研展が開かれている(8月6日まで)。中沢は1970年東京生まれ、1994年に多摩美術大学大学院美術研究科絵画専攻を修了している。1992年にINAXギャラリー2で個展を開いた後、ギャラリー現やギャラリー山口などで個展を続け、最近はこのアンドーギャラリーで個展を繰り返している。
 今回は昨年まで展開してきた白く塗られた木と針金を組み合わせたインスタレーションのシリーズでありながら、高さがきわめて低いことが異なっている。今まで徐々に背が高くなっていて、昨年は天井近くまであった高さが、今年は30センチほどになっている。すると、見る者はそれらを俯瞰することになる。
 コの字型に折り曲げられた針金が白く塗られた木材を挟んで立っている。針金は少し曲がっているので頼りなく感じられる。その針金2本、または3本で木材を支えている。そのユニット(?)が画廊全体に47組設置されている。
 俯瞰しているせいか、何か以前INAXギャラリーで見たアフリカの原地民が作る集合住宅を連想した。また中沢がこのギャラリーで展開してきたインスタレーションの内では最も完成度が高いように感じられた。造形的にきれいなのだ。昨年の個展を紹介したとき、当時、東京都現代美術館で個展をしていた菅木志雄と比較して次のように書いた。

……菅木志雄はもの派に属している。もの派は「もの」を投げ出すように展示して、作品に過剰な意味を持ち込まない。その中でも菅はとくに作品から意味を捨象することにこだわっているように見える。そして造形的な美を追求することに熱心ではない。だが意味を持ち込まないということは、そのような形で意味に執着しているとも言える。
 それに対して、中沢は作品の「意味」に関してニュートラルであって、それにこだわりを持っていない。中沢の追及しているのは造形的な美しさに近いだろう。「意味」と「造形性」に関して、菅と中沢は正反対なのだ。「意味」に関して解りにくいかもしれないが、例えれば憎しみは愛のカテゴリーに属するのに対して、愛憎に最も遠いのが無関心だということに近いだろう。

 中沢がこのようなインスタレーションを制作するに当たって、何か人間の共同体をイメージしているのかも知れないと、今回の作品を俯瞰しながら考えた。だとしたら、上記の「意味」にニュートラルだという感想は訂正しなければならないかもしれない。だが、造形的な美しさの追求という指摘は変更する必要を感じない。





 中沢研展の会期は長い。実際に足を運んで自分の眼で評価されることをお勧めする。
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中沢研展
2016年6月7日(火)−8月6日(土)
11:00−19:00(日・月・祝日 休廊)
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アンドーギャラリー
東京都江東区平野3−3−6
電話03−5620−2165
http://www.andogallery.co.jp
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