名前の読み方


 キラキラネームとやらが流行っているらしい。小学校で新入生の名前を先生が読めるのがやっと3分の1だと聞いた。最近知った名前は「一二三」と書いて「ワルツ」と読むと言う。実は戸籍には読み方を規定する規則はない。仮名はともかく漢字をどのように読むかは何の規定もないのだ。だから一二三と書いてワルツと読もうがひふみと読もうが自由ということになる。その子が大きくなって、ワルツをひふみに変えることも自由だ。読みはある意味通称みたいなものだろう。重要なのは文字そのものなのだ。極論すれば、「太郎」と書いて「ジョー」と読ませたってなんの問題もない。小学校の同級生で「昭雄」と書いて「てるお」と読んでいた子がいた。お父さんが土方だったので「照雄」と間違えたのだと、当時悪ガキたちが囃し立てた。それは悪ガキたちが間違っている。どのように読んでも良いのだ。
 やはり小学校の同級生で大平君という男の子がいた。「おおだいら」君と呼んでいた。中学に入って1学期に東京へ転校して行った。クラスへ手紙が届いて、東京では「大平」を誰も「おおだいら」とは呼ばないので、これからは「おおひら」にします、とあった。50年以上前のことなのにまだ憶えている。
 作家の立原正秋は「たちはらせいしゅう」と読むのが正しい。「まさあき」でなく「せいしゅう」と読むのがなぜ正しいかと言えば、立原がそう主張しているからだ。しかし本名は金胤奎だった。
 苗字も名前もどのように読むかは自由なのだ。なんの規制もない。おそらくパスポートを発行してもらったときに読み方が規定されるのではないか。ローマ字で表記することが求められるから。しかし、それだって日常にまで影響があるわけではない。読み方は自由なのだ。