3大紙の書評、その他を読む


 毎週日曜日はもう何十年も読売、朝日、毎日の3大紙を購入して書評欄を読んでいる。4月3日の書評では松山巌が推薦する嵐山光三郎著『漂流怪人・きだみのる』(小学館)が良かった(朝日新聞)。きだはファーブルの『昆虫記』10巻を山田吉彦名で訳し、『気違い部落周游紀行』を書いている。
 後者は映画にもなって子どもの頃見た記憶がある。村の小母さんが医者にかかって男性ホルモンか何かが足りないから注射すると言われて、そんなものは金を出して注射してもらうんじゃなく、金をもらってしてもらうもんだと言う台詞が当時なんだかよく分からなかった。
 きだは幼い娘を連れ歩いて学校にも通わせていなかった。その娘を引き取って育てたのが三好京三で、その顛末を『子育てごっこ』という小説にして発表した。それが問題だったと松山が書いている。

(『子育てごっこ』の)内容はきだを中傷し、自分たちが少女を育てる美談に仕立てた。だが、この美談ものちにミミくん(娘)の告発で瓦解した経緯は良く知られている。

 いや、そんなことは知らなかった。これは読んで見たい。
 書評はいつも毎日新聞が充実している(単に私の好みと一致しているせいかもしれないが)。今回も、山崎正和沼野充義著『チェーホフ』(講談社)を評しているが、劇作家の山崎らしく見逃せない記述があった。

 演劇には舞台というものがあって、物語はその上で直接に見える場面と、舞台裏で起こってせりふで伝えられる伝聞に分けられる。じつはチェーホフは恐るべきメロドラマ作家であって、どの戯曲にも熱愛、失恋、挫折、破産、自殺、決闘を装った自殺などが目白押しに現れる。だがそれらはすべて舞台裏で発生し、舞台上は機知と倦怠の漂う優雅なせりふが満たしている。「すだれ越しのメロドラマ」と呼びたくなる構造だが、これがチェーホフ劇の真骨頂なのである。

 湯川豊の評する本郷恵子著『怪しいものたちの中世』(角川選書)。後白河院俊寛九条兼実等々が描かれている。湯川が書く。

 東大史料編纂所教授である著者の、エピソード中心の歴史の語り方がみごと。挿話の一つ一つが、じつは歴史の底流の顕現である、という深い想像力に裏打ちされている。中世とは何かを問いながら、日本人とは何かということまでを考えさせる力がある本だ。

 昔見たテレビドラマで、ル・カレ原作の『偽装の棺桶』がストーリーを展開するエピソードがすべて、最後のどんでん返しの伏線になっていたことを思いだした。この本も読んで見たい。
 海部宣男評するエレツ・エイデン、ジャン=バティースト・ミシェル著『カルチャロミクス』(草思社)も面白そう。Google Ngram Viewerを使えば、ビッグデータを利用した人文科学の研究が簡単に計測できるのだという。まだ日本語版はないようだが、いつかそれができたら利用してみたい。
 以上3冊が毎日新聞
 読売新聞では今回気になった本は山本紀夫著『トウガラシの世界史』(中公新書)だけだった。旦敬介の紹介文で読みたくなった。しかし読売新聞では、書評欄ではないが、「人生案内」のコラムが面白かった。
 40代のバツイチの女性が5年間付き合った30代の彼に振られたと相談している。そろそろ結婚を考えていたので頭が真っ白だと。最相葉月の回答が容赦ない。

 わかっていましたよね。気づいていながら考えないようにしていただけですよね。いつかこんな日がくるということを。(中略)
 時は残酷だと思います。とくに中年になってからの5年は大きい。白髪は増え、皮膚はたるみ、体力は落ちる。40代も半ばを過ぎれば、加速度的に老いに向かいます。彼が突き付けたのはそのことでした。
 あなたはうすうす感じていたはずです。一度は別れを考えながらも結婚に傾いたのは、戸籍で縛りつけてでも彼を失いたくなかったからではないですか。(後略)

 なるほど、そうなのだろう。いやはや、何とも・・・
 読売新聞の「人生案内」は世相の移り変わりのデータとして利用もされているという。
 4月3日の3大紙の書評欄と人生相談がおもしろかった。