『ほんとうの法華経』を読む

 橋爪大三郎/植木雅俊『ほんとうの法華経』(ちくま新書)を読む。478ページと新書としては分厚いがその割にはあまり高くない(本体1100円)。昨年の毎日新聞張競の書評が載って大変ほめていた(2015年11月1日)。

 日本の仏教の多くは『法華経』を最高の経典としている。この仏典は宗教にとどまらず、思想や文化にも計り知れない影響を与えた。しかし、長いあいだ漢訳されたものが唯一の依拠できる典籍で、わかりやすい現代語訳はなかった。
 1837年、サンスクリットの仏典が残っていることが判明した。(……)それがきっかけとなって原典にもとづく研究がようやく行われるようになった。
 そうした成果を踏まえ、植木雅俊は8年をかけて原本を徹底的に解読し、2008年『梵漢和対照・現代語訳 法華経』(岩波書店)の刊行という大業を成し遂げた。

 しかし字面が分かっても内容がたちまち理解できるとは限らない。時代背景を知り、歴史社会的な文脈において文意を把握し、またキリスト教イスラム教と比較する必要もある。それで社会学者の橋爪が植木と対談し教えを乞うた成果が本書だ。
 分厚い宗教書なのに読んで見ようと思ったのは、張競の書評で興味を持ったのと、法華経の哲学が易しく解説されているだろう、橋爪だったら面白いだろう、対談だから難しくはないだろうと思ったからだ。期待はだいぶ外れたが。
 法華経の哲学がやさしく解説されていると思ったが、期待したのは概論だった。本書では法華経の原典からの現代語訳について、橋爪が疑問点を逐一植木に問いただしている。

橋爪  法華経も輪廻を前提していますね。輪廻の内実については、全然書いてないんですか。インドでふつうに信じられていることだから、説明しなくてもいいということなのか、
植木  橋爪先生は、輪廻にこだわっておられますが、輪廻転生の思想は、お釈迦さま以前のインド一般の民間信仰でした。「本生譚は元来、中央アジアに古くから民衆のあいだに流布していた教訓的寓話であったが、それが仏教に採り入れられ、釈尊の前生と結び付けられたのである」(中村元著『原始仏教から大乗仏教へ』53頁)とあるように、後世の人びとは、自分たちの願望を込めてジャータカ(本生譚、前生譚)を創作したんです。特にガンダーラの人びとは、お釈迦さまに対する憧憬の念をそこに反映させています。歴史的人物としてのお釈迦さまは、ブッダ・ガヤーなどを中心に活動して、西北インドには来ていない。だから、過去生で西北インドに生まれたことにして、お釈迦さまゆかりの聖地をつくった。
橋爪  でもその論理が成り立つためには、過去生でやって来たのが、釈尊でなければならない。同一性がなければ駄目です。誰がその同一性を認めてるんですか。
植木  前生譚は、創作なんです。物語を創作した人びとが、それを願望して認めているわけです。
橋爪  それは論理としておかしいでしょう。
植木  その物語を裏付けるために、いろいろな装置を持ち出してくる。例えば、何か特徴のある石があれば、「お釈迦様がここにお座りになった」という話をつくったりした。そういう話が『大唐西域記』にはたくさん出てきます。

 法華経の概論が述べられているのではないかと期待した私が間違っていた。けれど、細部を詳しく問いただす橋爪に、合理的に答えようとしている植木との対談を読んでいると、法華経の本質がおぼろながら立ち上がってくる。
 あとがきで、植木が書いている。

 橋爪先生は、「仏教について知識のない人を代表して質問します」と前置きされたが、わかっている人が、わかっていないふりをして発する質問ほど怖いものはない。鋭い質問に絶句することしきりだった。……

 植木雅俊『思想としての法華経』(中公新書)も読んでみよう。


ほんとうの法華経 (ちくま新書)

ほんとうの法華経 (ちくま新書)