美人論の試み

 知人と世間話をしていた折り、どんな話の流れだったか、ある女性画家について私が美人ですねと言った。その女性画家はたしか中学生の息子がいる。私の言葉を引き取って、相手が、えっ彼女が! と言って驚いた。知人は私より5歳ほど年上の画家で、以前はタレントプロダクションの社長をしていた人だ。つまり好みはけっこう千差万別なのだ。まずそのことを踏まえて少々勝手なことを書きたい。
 美人は相対的なものだ。それは必ず限られた集団の中という条件がつく。小中学校を通じてクラスの中には2、3人の美人と言われる少女たちがいた。好みがあるから絶対的に1人には限定されないが。また職場の集団の大きさにもよるが、決まって1人から数人の美人社員がいる。昔サトウサンペイのマンガに、登山していてきれいな女性登山愛好家たちに会うが、下山するとむしろきれいではない方の部類になってしまうというのがあった。合コンが数人でもきれいな娘はいる。最低限3人いればきれいな女性が存在するのではないか。美人は相対的なもので、限定された集団の中には必ずきれいだと評価される女性が存在するのだ。
 その集団がきわめて大きいのが女優とかスターの世界だ。その世界では、身近にいれば圧倒的な美人と言われる女性でも厳しい評価にさらされる。逆に結婚相手に限ればは可能性のある女性が限られるため、評価の基準はとても緩やかになる。風俗の世界の女性やキャバクラの女性も評価の基準は厳しいものではないだろう。
 私が男だから美人論ということになった。女性から見てもたぶんあまり変わることはないだろう。
 この項これで終わりとする。改めていつか、なぜカップルが可能なのか考察してみたい。美男美女ではないカップルが普通に存在することの意味を。