西堂行人『[証言]日本のアングラ』を読む 

 西堂行人『[証言]日本のアングラ』(作品社)を読む。副題が「演劇革命の旗手たち」といい、8人のアングラ演劇の中心的な関係者たちにインタビューしたもの。取り上げられているのは9人で、唐十郎別役実、瓜生良介、佐藤信、太田省吾、蜷川幸雄寺山修司鈴木忠志扇田昭彦となっている。インタビューの時期は2003年から2012年にまでわたる。寺山修司はすでに亡くなっていたので元妻で天井桟敷の制作を担当していた九條今日子に話を聞いている。本書の発行は昨年11月だったが、すでに太田省吾、瓜生良介、九條今日子扇田昭彦らが亡くなってしまった。
 まず優れた証言集だと断言できる。インタビューアーを勤めた西堂行人の力量によるだろう。アングラ演劇を長く見てきて劇評を書いてきた人ならではの仕事だ。彼らの生前に優れた証言を引き出してくれたことを感謝したい。
 みな率直に語っているのが印象的だ。別役実が、三島由紀夫の『近代能楽集』をほとんど買わないと言っている。だが、戦後のある時期までの演劇の3大傑作に、秋元松代の『常陸海尊』と三島の『サド侯爵夫人』、それに田中千禾夫の『マリアの首』を挙げている。
 佐藤信俳優座養成所に行ったのは、レヴューの演出家になりたかったからだという。そういえば、日劇ミュージックホールの演出もしていたし、モーツァルトの『魔笛』の演出も見たことがあった。蜷川幸雄が、「……不忍池で『二都物語』を観て、ぼくは本気で唐十郎の弟子になろうかと思った」なんて言っている。鈴木忠志についてはインタビューがない。鈴木が断ったのだろうか。西堂の評論だけで構成されている。
 扇田昭彦との対談で、アングラの御三家について訊いている。

西堂――そのときの「御三家」って、誰と誰と誰なんです?
扇田  いろいろな考え方があると思いますが、状況劇場、早稲田小劇場、自由劇場ですね。人ではなく、劇団を意味する言葉だったと思います。天井桟敷は67年にできましたが、寺山修司さんが創った天井桟敷はちょっと別格の劇団でしたから、最初の「アングラ御三家」には入らなかったんです。
西堂――とすると、「アングラ」の一番中心的な核として、唐十郎鈴木忠志佐藤信の3人がいて、寺山修司はどちらかというと少しはずれているというか、少し年齢的に上だったこともあって、どこか違うところから参入してきたという感じだったんでしょうか。

 私は佐藤信黒テントのファンだったから黒テントはずいぶん見た。唐十郎の紅テントと寺山修司天井桟敷、それに鈴木忠志の早稲田小劇場はほんの少しだけ見た。蜷川は清水邦夫の木冬舎の演出をいくつか見ている。いまでも最高の舞台だと思っているのは、蜷川が演出した清水邦夫の『タンゴ、冬の終わりに』で、初演のパルコ劇場で公演したものだ。これはBunkamuraでの再演も見たが、初演のほうが良かった。一度も見たことがないのは、別役実と、発見の会の瓜生良介、転形劇場の太田省吾だ。瓜生も太田も亡くなってしまったのでもう見る機会はないのだろう。
 本書の造本について少々……。版面が小口ギリギリまできていて読みづらい。活字と小口の間が7ミリしかない。ページ数を減らすためにこうしたのだろうが、1行減らしても20ページほど増えるだけなのに。


[証言]日本のアングラ

[証言]日本のアングラ