恵方巻への疑問

 昔ペットボトルが登場してからしばらくの頃だったと思う。ドリフターズ志村けんが、ペットボトルのお茶を飲むとき、ボトルに直に口を付けないで必ず茶碗やグラスに注いでから飲んでいると雑誌か何かに書かれていた。どちらかと言えば決して上品ではないドリフのメンバーの一人が、そんな上品な飲み方をしていると知って驚いたことがあった。
 数年前、社交飲食組合の機関紙の編集を手伝ったことがあった。都内のバーやクラブの経営者たちの組合だった。時々その会合が開かれたが、出席者の何人かがやはりペットボトルに直接口を付けることをしないで必ず湯呑茶碗を要求した。この時も志村のことを思い出して感心した。ある夜会合の後で一同新宿のクラブへ招待されていった。酒がすすみ参加者に酔いがまわって来たとき、ペットボトルに直接口を付けることをしなかった人が誰かの冗談に派手に手を打って大きな声で笑った。それはあの上品な行動をとった人とは思えない品のない笑いだった。
 いまコンビニやスーパーで恵方巻を宣伝するコマーシャルが流れている。いつ頃からか恵方巻という行事が広く一般に普及してきたようだ。でもなぜ誰も言わないのだろう。海苔巻きを切らないで丸のまま直接口にすることの品のなさを。ペットボトルに直接口を付けて飲むことに比べてもはるかに品がないのではないか。
 それで思い出すことがある。もう十数年前にどこかのギャラリーで見た写真展で、すべて若い女性たちのポートレートだったが、彼女たちはみな口を丸く開けていた。なんだろうとよく見ると、胃カメラを飲むときに口が閉じないように銜えさせられるリングのようなものをみな口にしているのだった。ちょっと滑稽な表情なのだが、モデルをしている女性たちにはなぜこんなことをさせられるのか分からなかっただろう。決して上品ではない私にはおぼろに推測することができた。まだ恵方巻が一般化する前だったのだが、おそらくカメラマンは女性たちが恵方巻を銜えているときのような状況を撮影したかったのに違いない。その時の表情を正面から撮りたかったのだろうと想像した。想像した私もカメラマンも品がないことおびただしい。もっとも私はそんなものを見たいともまして撮りたいとも思わないのだから罪は軽いだろう。
 だらだらと何を書きたかったのか。品の悪い話を婉曲に書こうとしているのでこんな書き方になってしまった。恵方巻への疑問という話です。