道浦母都子『無援の抒情』を読む

 道浦母都子『無援の抒情』(岩波同時代ライブラリー)をやっと読む。この著名な歌集をいままで読んでいなかった。道浦は1947年生まれ、私より1歳上の学生運動の闘士で歌人だ。70年安保のころで、仲間の闘士が東大闘争で逮捕されている。運動が終わったあと、当時を思い出しながら回想という形でなくリアルタイムで歌うという形式で短歌を詠んでいる。「無援の抒情」(完本)より、

催涙ガス避けんと密かに持ち来たるレモンが胸で不意に匂えり
ガス弾の匂い残れる黒髪を洗い梳かして君に逢いにゆく
夜を徹しわが縫いあげし赤旗も故なき内ゲバの血に染まりゆく
ビラ一枚見出すことなきわが部屋に五人の刑事苛立ち満ちる
嘔吐して苦しむわれを哀れみて看守がしばし手錠を解きぬ
売春の少女は最後に残されて週に一度の入浴終わる
「インバイ」と少女を一日蔑みしスリの女をひそかに憎む
いつになく微笑み浮かべ扉を開けし看守が不意に釈放告ぐる
君のこと想いて過ぎし独房のひと日をわれの青春とする
釈放されて帰りしわれの頬を打つ父よあなたこそ起たねばならぬ
炎あげ地に舞い落ちる赤旗にわが青春の落日を見る
少女のようなお前が離婚するのか老いたる父がひとこと言いぬ
みたるものみな幻に還れよコンタクトレンズ水にさらしぬ

 そして「無援の抒情」以降の歌から、

私だったかもしれない永田洋子 鬱血のこころは夜半に遂に溢れぬ
自らを苛(さいな)むためにうたうこの愚かさもわれゆえのもの
退散へ虚無へと傾(なだ)れゆきたきをあやうく支えしわがうたならば
如月の牡蠣打ち割れば定型を持たざるものの肉柔らかき
おみなとは肉やわらかくひたすらの鋼(はがね)のごとき意志と思うも
降る雪に燈架のごとく立ちつくす銀の水木(みずき)を己れと思う
全存在として抱かれいたるあかときのわれを天上の花と思わむ

 後半に100ページほど短いエッセイが収録されている。このエッセイもとても良い。かつて"母"だったひとが編んでくれたセーターが、なくなっていたクリーニング屋から見つかって、道浦はとても喜ぶ。それは大事なセーターだった。別れた夫の"母"が編んでくれたセーターだった。10年間結婚していた夫と別れるとき、その意志を伝えた"母"は「今は、女のひとだけが我慢する時代ではありません。あなたに生活力があるのなら、それもいいでしょう」と、驚くような対応をしてくれた。夏や冬、セーターに手を通す度ごとに、不思議に"母"のことが思われる、と書く。
 このエピソードは朝日歌壇に載った吉野ミヨ子の短歌を思い出す(2013年6月24日)。


我あてのメール三通消せずある息子と離婚せし人からの

 本書を読んでいて声をあげてしまうのを抑えられなかった。家に猫しかいなくて良かった。


無援の抒情 (岩波現代文庫)

無援の抒情 (岩波現代文庫)