山本豊津『アートは資本主義の行方を予言する』を読む

 山本豊津『アートは資本主義の行方を予言する』(PHP新書)を読む。副題が「画商が語る戦後70年の美術潮流」というもの、山本は東京画廊の2代目社長なのだ。山本豊津の父山本孝が1948年に銀座に数寄屋橋画廊を開き、1950年に東京画廊と名前を変えた。数寄屋橋画廊を一緒に始めた志水楠男はのちに南画廊を開き、山本志水の2人が日本の現代美術画廊の草分けとなった。
 父は最初古美術を扱っていた画廊で修行したが、東京画廊を始めた翌年鳥海青児の個展を開き、その後出入りしていた大原美術館の大原氏あたりから依頼されてヨーロッパへ美術品の買い付けに行き、そこで現代アートを知ったことからフンデルトワッサーとかフォンタナ、イブ・クラインなどの個展を手掛けることになった。
 日本の現代美術作家とは具体美術協会元永定正や白髪一雄、吉原冶良を取り上げ、ついで瀧口修造から紹介された斎藤義重、斎藤の弟子筋にあたる「もの派」のリ・ウーファンや菅木志雄、関根伸夫らの作品を扱うことになる。
 その後東京画廊は中国に進出する。中国がアジアの経済の中心になることを読んだからだ。その予測は的中する。2013年のサザビーズ゙のオークションで中国の画家曾梵志の作品に22億6千万円の値段が付き、それまでアジアで最高額を付けていた村上隆の「マイ・ロンサム・カーボーイ」の16億円を抜いたという。
 山本は自身の東京画廊の歴史を綴るが、それが戦後日本の現代美術の簡単な歴史にもなっている。さらに村上隆についても、京都市立芸術大学で教えている中原浩大のフィギュア作品の影響を受けており、その中原は「もの派」の小清水漸の教え子で、小清水の彫刻を絵画の面を見るように捉えるコンセプトは村上のスーパーフラットにつながっているいるのではないかという興味深い指摘をしている。また奈良美智の描く「漫画チックな険しい表情の少女」も、藤田嗣治が描いた少女が「可愛くてつやつやしていながらも、表情がキリリと締まっている」点で両者には通じるものがあるのではないかとも言っている。
 会田誠については、「彼のエログロ、ロリコン的な表現、暴力的で破壊的な作風は常に賛否両論を巻き起こします。「取扱い注意の作家」とも呼ばれ、その反社会的なメッセージには常に危険な匂いが漂います」と書いて、さらに、

 彼の作品はまじめな社会派として捉えることもできれば、カリカチュアや高尚なおふざけとして捉えることもできるでしょう。いずれにしても、彼の作品が現代の日本の社会に潜む問題性や病理を鮮明にえぐり出していることは事実です。正直なところ、私自身は彼の作風が好みだとはいえません。もちろんアートの表現の大前提は自由であることです。それが反社会的であろうと、反道徳的であろうと、表現すること自体が芸術の存在意義であり、むしろ大切なことだと考えています。

 と、的確な評価をしている。
 また、権力や体制が芸術を怖れるわけを、芸術には既存価値の破壊と転換を本質的に内在しているからだとか、売れる作品というのは「閉じた」作品ではなく、見るひととコミュニケーションできるものでなければならないとか、自分の国の美術品の価値を高めることで文化的な優位性を得ることができるとか、様々な魅力的な主張が提示されている。仰々しいタイトルにはじめ期待を持たないで読み始めたのに、とても有意義な読書だった。
 文体もすらすらと読みやすいものだ。おそらく、養老孟司の『バカの壁』のように、山本が語ったものをライターが書き起こしたのではないか。文体の基本と全体の構成に語りの印象があった。


アートは資本主義の行方を予言する (PHP新書)

アートは資本主義の行方を予言する (PHP新書)