小林恭二『俳句という愉しみ』(岩波新書)を読む。この前に読んだ同じ著者の『俳句という遊び』の続編。20年前に出版され、やはり当時面白く読んだ記憶がある。副題が「句会の醍醐味」とあり、前著同様当時1流の俳人たちを今度は奥多摩の青梅線の御嶽駅にある河鹿園に集めて句会を行った。御嶽には玉堂美術館があり、私にも少し思い出がある場所だ。参加した俳人は、前回と多少異同があり、三橋敏雄、藤田湘子、岡井隆、有馬朗人、大木あまり、摂津幸彦、小澤實、岸本尚毅の8人。著者である小林が司会進行をしている。異色なのは岡井隆、岡井は俳人ではなく歌人、それもダントツトップクラスの歌人で前衛短歌でも第1人者だ。
句会の1日目は「嘱目」、目に触れたものを俳句にする。時間は1時間半で10句を作る。全員で80句ができ、これを無記名で一覧にして各人が10句を選ぶ。
結果4人が選んだ4点句が最高点句となった。それが3句あった。
凍蝶になほ大いなる凍降りぬ
荒星や毛布にくるむサキソフォン
ここから皆で講評を行い、最後に作者が明かされる
小林「では合評をお願いします。(中略)まずは大寒の句から始めましょうか。有馬さん、摂津さん、小澤さん、三橋さんがとられています」
有馬「今日の句としてはうまい句と思いますよ。青梅線も効いているしね」
三橋「青梅線というのは西へ向かっているんだよね。だからちょうど太陽を押してゆく格好になるんだ」
藤田「青梅線というのはだんだん奥にゆくにつれて山峡が狭まってくるでしょう。その感じは出ている……でもねえ、ぼくは「押してくる」が下手だと思うんだ。ま、下手だからこそ力強い表現にもなっているんだが。ここが俳句の不思議なところでね、うまくやったら俳句っていうのは力がなくなるんだ」
摂津「ぼくは「押してくる」がいいと思いましたね。これくらいの下手さ、やぼったさがいちばんいいんじゃないかな(笑い)」
(中略)
小林「では作者は…………あれ、どなたですか?」
藤田「作者は?」
大木「わたくしです」
藤田「あなた、もったいぶっちゃいけないよ(笑い)」
大木「下手でやぼったいわたくしです!」
次に3人が選んだ句。
白菜をきつく縛りて御嶽爺
有馬朗人、摂津幸彦、それに黒衣の川上君(編集者)が選んだ。(中略)
小林「今回は採ってない人からいきますか、岸本さんいかがでしょう」
岸本「御嶽爺の語感があまりにもあまりでついていけなかったですね」
小林「どうついていけなかったんですか」
岸本「その―、窮屈というかなんというかですね、御嶽婆よりはいいかもしれませんが……」
(中略)
藤田「御嶽爺であれ御嶽婆であれ、僕はこういうところに、俳句を持ってっちゃうこと自体が嫌なんだ。こんなことは大正時代からずっとやってきたことでしょ。こんな古臭い言葉からは抜けてね、もっと今日的な言葉を開拓していかなくちゃいけないと思うんだ。こんなのは『ホトトギス』の雑詠選集にいくらでもありそうだよね」
摂津「確かにありそうですな」
(中略)
三橋「この句はね地名を入れ替えていくらでも出来るんですよ。弱いと言えば弱いんですけどね、その一方で御岳への挨拶句としての面白さはある。こういうのって案外語呂のいい地名が入ると映えるんだが、御嶽爺ってのはちょっとやぼったかったかな」
小林「作者は?」
岸本「岸本です」
大木「えっ! ご自分であんなこと言ったの」
藤田「これくらいの芝居はうたなけりゃ(笑い)」
とにかく面白いし、俳句をどう読めばいいのか勉強になる。
2日目は題詠。俳人8名に黒衣2名も1題ずつ出したので10題で作ることになった。それを無記名で一覧にし講評を加える。
前著『俳句という遊び』ともども楽しい読書だった。小林は岩波新書でさらに続編を作っている。題して『短歌パラダイス』、こちらはどうだろうか。
ちなみに大木あまりは詩人の大木惇夫の娘だとのこと。すると、中央公論社で雑誌『海』の編集をやっていた宮田毬栄の姉妹ということになるのだろう。宮田毬栄には『追憶の作家たち』(文春新書)という著書があり、最近は父の伝記を出版している。
- 作者: 小林恭二
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1995/02/20
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