田村隆一『若い荒地』(講談社文芸文庫)を読む。田村は戦後の日本現代史の第一人者、その初期の詩集『四千の昼と夜』は現代詩の金字塔であることを誰も疑わないであろう。戦後すぐの頃田村や鮎川信夫、中桐雅夫、北村太郎、黒田三郎、三好豊一郎などが参加して作った詩誌が「荒地」だ。しかしこれは第2次「荒地」で、戦前から戦中にかけて第1次「荒地」があった。
田村は初め神戸の中桐雅夫編集の詩誌「LE BAL」に参加し、また春山行夫、村野四郎らが編集する「新領土」の会員にもなっている。そのころT. S. エリオットの『荒地』を読む。昭和14年から2年間、鮎川信夫は森川義信らと第1次「荒地」を発行する。戦争の機運が高まり、外国語の雑誌名が禁止され「LE BAL」は「詩集」と題名を変えるがそれも昭和17年に終刊する。
本書『若い荒地』は戦前から戦中までの彼らの動静を綴っている。荒地グループとはふつう戦後の第2次荒地に参加した面々を指している。第2次荒地グループの中心人物はなんといっても鮎川だが、田村隆一も重要なメンバーだった。戦前の荒地には参加していなかったが、その周辺で親しく交流していたので、当時を語るに田村は最適の語り手のはずだった。
田村は現代詩の第一人者だ。私も最も好きな詩人だ。しかし、田村は一面ひどくだらしない部分がある。仕事の手抜きが多いようなのだ。早川書房のポケットミステリシリーズを企画して成功させたのは田村だが、ひどいさぼり癖があったことも指摘されている。そのことは宮田昇『新編 戦後翻訳風雲録』(みすず書房)に示唆されている。
本書は最初『ユリイカ』に連載された。途中ユリイカ社主の伊達得夫が急逝し連載が中断したが、その後『現代詩手帖』で再開された。通読して田村が執筆に手を抜いているだろうことが分かる。古い雑誌の仲間のエッセイや詩をそのまま転載したり、長い評論をまるのまま引用したりしている。それを再掲載する必然性がよく分からない。おそらく、月刊誌の連載の締め切りに間に合わなかったことが多々あったのではないか。そのとき古い雑誌の数ページをそのまま持ってきて責任を果たしたごとくにみせているのだ。本書が最初思潮社から1968年に出版されながら、2007年講談社文芸文庫として再刊されるまで、どこからも出版されなかったことがそれでよく分かる。とは言うものの渦中の詩人の生の記録だから期待を過剰に持たなければ十分楽しめるだろう。
・宮田昇『新編 戦後翻訳風雲録』を読む(2012年11月30日)

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