まず酒井忠康『鍵のない館長の抽斗』(求龍堂)を読む。酒井は長く神奈川県立近代美術館に勤務して最後は館長を務めた。そこを退職して2004年から世田谷美術館館長に就任している。本書は3章に分かれていて、I章は世田谷美術館の年3回発行されるNEWS LETTERに連載したもの。II章は神奈川県立近代美術館館長のときに書いたエッセイ、III章は世田谷美術館に移ってから書いたものを収録している。
あとがきまで含めて223ページで78篇が選ばれているから、1篇が3ページ足らずという短いもので、だから軽いエッセイ集なのだが、美術に関する話題ばかりなので美術ファンには楽しめるだろう。
小・中学校や高校の現場で美術の時間が減らされているという状況を紹介して、
なにか侘しい気持ちになった。
わたしは十数年前に、東欧のとある国の大使と美術展について話したことがあったのを思い出した。それは戒厳令下の夜であった。
「日本の外交官は忙しいということもあるけれども、まず、美術館には顔を出さないでしょう。音楽会へは比較的よく行くが、美術展へは行かない……」と大使は言われた。
どうしてなのか訊いてみると、大使は笑いながら「音楽会は終われば、ワンダフル―で済むけれども、美術展ともなれば、結構、ソレなりの話をしなくてはならない、ちょっと厄介だからね」といわれた。
さすが求龍堂の本だから、造本がしゃれている。カバーのカラスの絵も悪くない。その作者がシルヴィア・ミニオ=パルウエルロ・保田というのは保田春彦の奥さんだろうか。
ちょっと気になったのはIII章の中扉のことで、些細なことだけど、140ページに置かれている。偶数ページ、つまり右ページだ。I章の中扉は9ページ、II章の中扉は81ページとなっている。ふつう中扉は奇数ページがあてられる。どうしてIII章のみ偶数ページなのか? 答えはすぐわかった。223ページであとがきが終り、224ページが奥付で終わっている。この224ページというのは、製本で16ページ1折りとすればちょうど14折りとなる。きわめて経済的なページ数なのだ。もしIII章の中扉を141ページに置けば奥付が226ページになり、製本上実際は全体が232ページになってしまって14折り半になる。コストに大きく影響するのだ。求龍堂はおそらく経営的に余裕のある出版社ではないだろう。体裁を犠牲にしても14折りでまとめることに拘ったのだろう。
ついでちょっと古い本、『奇妙な画家たちの肖像』(形文社)を読んだ。25年ほど前に出版されたものだ。ジョルジュ・モランディやフランシス・ベーコン、ムンクを始め、日本の画家たち30人近くについて語っている。なかなか参考になったけれど、この本が校正ミスが目だったのだった。
116ページの「吉伸太造」は「吉仲太造」だし、189ページの「幕末もの」〈註1〉は対応する註が抜けている。226ページの「血まつりにあずられる」は「血まつりにあげられる」だろう。272ページの「詩人リケル」は「詩人リルケ」ではないだろうか。もちろんこれらは著者ではなく、編集者の責任だ。
元編集者なので、つい細かなところに拘ってしまった。体裁はともかく、内容は興味深かった。
- 作者: 酒井忠康
- 出版社/メーカー: 求龍堂
- 発売日: 2015/03/01
- メディア: 単行本
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