銀座ニコンサロンの柴田れいこ写真展「届かぬ文:戦没者の妻たち」を見て


 東京銀座のニコンサロンで柴田れいこ写真展「届かぬ文(ふみ):戦没者の妻たち」が開かれている(6月30日まで)。柴田は1948年岡山県生まれ、2005年に大阪芸術大学写真学科を卒業している。
 ギャラリーのホームページに、本展に関する柴田れいこの言葉が掲載されている。

戦後70年の節目にあたる今年、私は、あの戦争の時代を生きた最後の世代である「戦没者の妻」と呼ばれる女性たちの姿を通して、今一度あの戦争を振り返ってみたいと思います。
赤紙1枚で夫を戦場へ送られた彼女たちは、愛する者の無事をただ祈り、苦しい生活に耐え、帰りを信じて待ち続けました。しかし彼らは二度と彼女たちのもとに戻って来ることはありませんでした。彼女たちは口ではとうてい言い表すことのできない悲しみを抱えて、それでも生きていかなければなりませんでした。もう会うことのできない恋しい夫を想い、耐えて耐えて、耐えきれない時には、秘かに涙を流した夜もあったことでしょう。それでも彼女たちは前を向いて生きてきました。
私は地元岡山県内の「戦没者の妻」54人の方々にお会いし、貴重なお話を聞かせていただくことができました(取材期間:2012年〜14年)。皆様はご苦労の甲斐あって、今は人生の晩年を穏やかに過ごされています。
「戦争は絶対にしてはなりません。私たち母や子のような悲しみを持つ人間を、二度と作ってほしくありません」と静かに語っておられました。

 ここには40人ほどの品の良い老婦人たちのポートレートが並んでいる。中でも片山鈴子、88歳のエピソードが強く印象に残った。彼女は大正14年10月18日生まれ、岡山県倉敷在住。ひとり暮らし、子供なし。結婚生活たった9日で夫は出征した。生死不明のまま40年待ったが、平成3年ソ連ゴルバチョフ大統領が訪日した折り、抑留者名簿が発表され、6,000人の名前が新聞に載った。毎日名前を探し、ついに夫の名前を見つけて、初めて彼が死んだことを受け入れ泣きましたとある。
 たった9日間の結婚生活で40年待ったということの意味が想像もつかない。人生は不条理なのだということを確信する。写真のポートレートは穏やかな表情をしている。(上のDM葉書の女性は別人)
 戦後20〜30年経って、横井庄一軍曹や小野田寛郎少尉が帰還したとき、われわれはただ驚いていただけだったが、片山さんにとってはその度に希望が蘇っていたのだろう。残酷なことだ。T. S. エリオット「荒地」から岩崎宗治 訳で、

四月は最も残酷な月、リラの花を
凍土の中から目覚めさせ、記憶と
欲望をないまぜにし、春の雨で
生気のない根をふるい立たせる。
冬はぼくたちを暖かくまもり、大地を
忘却の雪で覆い、乾いた
球根で、小さな命を養ってくれた。

 柴田れいこの仕事を讃えたい。これはまとめられて写真集になっている。
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柴田れいこ写真展「届かぬ文:戦没者の妻たち」
2015年6月17日(水)〜6月30日(火)
10:30〜18:30(最終日は15:00まで)会期中無休
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銀座ニコンサロン
東京都中央区銀座7-10-1
電話03-5537-1469
http://www.nikon-image.com/activity/salon/


荒地 (岩波文庫)

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柴田れいこ写真集『届かぬ文』

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