井上ひさし『新釈遠野物語』を読む

 井上ひさし『新釈遠野物語』(新潮文庫)を読む。柳田国男の『遠野物語』にならって、井上が新しく語り下ろしたという体裁を採っている。遠野地方近くの国立療養所に勤める若い男が、山に一人住む老人から若い頃体験した不思議な話を聞かせてもらう。全部で9篇の短篇からなっている。
 人を食う山男からその妻に教えられた方法で逃げ出す男。熊笹の生えている斜面を転がって逃げなさいと言われる。実際に熊笹の上を転がって逃げる場面で、同じような情景を知っているような気がほんの少しだけした。それから、河童が親の病気を治すために人間のキモを採る話など結構気持ち悪い話が続く。
 第4話は飼い主である娘と馬が相思相愛になって番う話だ。(刺激が強いのであえて難しい言葉を使っている)。この馬の短篇は以前読んだことがあるような気がした。そのあとは狐つきの娘の話や予言をする話売り、人に化けて魚を救う沼の主の大鰻とか、狐が化かす話などが続いているが、馬と娘の話以外はほとんど記憶になかった。その話のみは何かのアンソロジーで読んだのだろう。
 読み終わって念のために日記を検索してみた。この『新釈遠野物語』を5年前に読んでいて、「おもしろかった」と読後感想を書いている。2度目の読書感想としては、あまり面白くはなかった。だいたい読んだことを5年間でほとんど忘れているのだから、大した内容ではなかったのだと、自分の記憶力の問題をシカトして言い切ってしまう。
 題名のように、民話や伝説などにならって、不思議な話や荒唐無稽な物語を綴っている。それを5年前は面白いと感じたのだろうが、読み返してみて(記憶になくてもこの言葉は使えるのだろうか)面白く感じられなかったのは、荒唐無稽や不思議なことがそれだけで、何か象徴とか大きな意味だとかにつながっていないからではないか。
 もう単純に面白いだけの話では満足できなくなってしまったかのようだ。
 閑話休題。上記「シカト」という言葉は『広辞苑 第4版』には載っていなかった。ネットの辞書には、語源が花札の10月の鹿からきているとあった。鹿が横を向いているので「無視」という意味の隠語「鹿十=しかとう」からシカトになったという。花札の10月は紅葉に鹿だ。オイチョカブでは10のことを「ブタ」と言った。同じく、チンケ(1)、ニタ公(2)、サンタ(3)、四ツ谷(4)、後家(5)、六法(6)、泣き(7)、オイチョ(8)、カブ(9)と数えた。あれ、何の話をしてたっけ? 

新釈 遠野物語 (新潮文庫)

新釈 遠野物語 (新潮文庫)