金井美恵子『映画、柔らかい肌。映画にさわる』から

 金井美恵子『映画、柔らかい肌。映画にさわる』(平凡社)を読んでいる。その「II 愉しみはTVの彼方に、そして楽しみと日々」から、例によってまず金井の毒舌を。『溝口健二大映作品全集』と新藤兼人の『ある映画監督の生涯・溝口健二の記録』を見ながら、

 この溝口の映画に出演した俳優やスタッフのインタヴューで構成された〈生涯〉を見ると、「映画」とはこんなに貧しい世界で作られたのか、と目を疑いたくなるし、「映画」に関する一切と縁もゆかりもないとしか思えない種類の才能の持ち主であることが明白な新藤兼人が、溝口についての醜悪な映画を作り、しかも、いかにそれが「キネマ旬報」のベスト・テンであるとはいえ、その年のベスト・ワンに選ばれてしまったという事態に対して、殺意を覚えるほどである。

 このように名監督とも評された新藤兼人が冷たく切りすてられる。金井は続ける。

 宮川一夫の撮影で、森雅之京マチ子も出演している(溝口の)『雨月物語』(53)は、どうしてもヴェネチアでグランプリをとった黒澤明監督の『羅生門』(50)と比較してみたくなる。(中略)比較すれば『雨月物語』のほうが見るべきシーンに充ちているとはいえ――『西鶴一代女』でも『雨月物語』でも、田中絹代の出演するシーンで撮られた魔術的なワン・ショットは、絵巻物からの発想であるにしても、そんなこととは無関係な映画的眩惑で見る者を陶然とさせる驚きでもって息をのませる――なんとなく退屈な映画という気がしてならないのはなぜなのだろうか。黒澤の映画が退屈なのは当然としても、溝口健二のコスチューム・プレイのあの重苦しさはどういうわけのものなのだろうか。

 鈴木清順監督の映画『夢二』に関して、

関東無宿』でも『花と怒涛』でも『刺青一代』でも『春婦伝』でも『けんかえれじい』でも、他のどの映画でも同じことなのだが、鈴木清順は、他のどんな無能な監督でもそれなりに抒情的で官能的なたかまりを表現しようとするシーンを、あっけないどさくさで、別のシーンへとつなげてしまうので、「映画を見た」という実感がどうも一つ持てないのは、どういうわけなのだろう。それに、いわゆる、芸術派としての清順タッチの画面が、映画的というよりは、「流行通信」とか「太陽」のグラビアの芸術写真や前衛風ファッション写真をスライド映写機で連続的に見ているような、このうえなく退屈で静止した印象なのも一つピンとこないし、カメラマンが最初から最後まで露光を間違えていたとしか思えないうえに、ショーケンと田中裕子が醜くジタバタはしゃぎ、沢田研二が短い足で阿波踊りふうリズム感の不貞腐れた動きをする『カポネ大いに泣く』のことは思い出したくもない。原稿を書くと引き受けてしまって以来、あの鈍重で歌をうたってさえリズム感のない、10年も前から頬がたるみ、最近ではたるみ具合の関係から岸信介と美里(田丸)美寿々と血縁関係があるとしか思えない沢田研二が、あの野暮ったい抒情画家をやるのかと思うと、うんざりしていたのだった。

 次に、金井の嫋嫋たる名文を紹介したい。中国の田壮壮監督の映画『春の惑い』で着られていた衣服を称えて、

 そして、それはさておき、決して美しい顔立ちとはいえない、女主人公を演じる若い女優(劇場用映画は初出演だったフー・ジンファン)の細っそりした体を包み込み、彼女を次第に強い存在感のある女性に見せる単色の絹の簡素な中国服の美しさである。体の線を強調するためにダーツとカッティングで形を整え、脚の見える深いスリットとサテン地に豪奢な刺繍のほどこされたチャイナ・ドレスや、清朝の大仰な宮廷服や、上着とズボンに分けられた庶民階級の服は、私たちは中国映画の中でも、香港映画の中でも中国を舞台にした外国映画の中でも、様々に見ているのだが、そうした私たちのイメージする中国服とはまるで異質な、普通の中国服が、『春の惑い』ではたとえようもなく美しい。
 ダーツも取らずカッティングもしていない直線裁ちで仕立てられた、生成りのシルク地や、バラの地紋のある灰色地に黒のパイピングをした足首までの長さの中国服の沈んだ光沢が、春の柔らかにかすむ光線や、ほの暗い室内の光の中で、体の動きと共に微かにゆらめき、女主人公の激しいしかし抑制された悲劇的な動きを的確にあやしく包み込む一方、義妹の着ている木綿の淡い色の格子柄の中国服も清々しく知的な少女の未来へのあこがれを包み、あるいは包みきれないことをあかしているようだ。
 一枚の布で出来た簡素で美しい衣服によって、そして、淡い春の日ざしの中で単調に刺しつづけられる絹のハンカチーフによって、抑えられた愛の短い激情の深さが語られる、それが『春の惑い』という映画なのだ。

 この「II 愉しみはTVの彼方に、そして楽しみと日々」の章を読み終わって、ちょうど本書の半分まできた。この後、「III 女優=男優」、その他が続いている。