相原勝『ツェランの詩を読みほどく』から

 相原勝『ツェランの詩を読みほどく』(みすず書房)は難解なツェランの詩を読みほどいてくれている。その中から「死のフーガ」の全文とその解説を抄録する。

  死のフーガ


夜明けの黒いミルクぼくらはそれを晩に飲む
ぼくらはそれを昼と朝に飲むぼくらはそれを夜に飲む
ぼくらは飲むそして飲む
ぼくらは空(そら)に墓を掘るそこなら寝るのに狭くない
ひとりの男が家に住むそいつは蛇どもとたわむれるそいつは手紙を書く
そいつは日が暮れると手紙を書くドイツに宛てておまえのブロンドの髪マルガレーテと
かれは手紙にそう書くそして家の前に立つそして星々は煌めきかれは自分の猟犬どもを口笛で呼び出す
かれは自分のユダヤ人どもを口笛で呼び出し大地に墓を掘らせる
かれはぼくらに命ずるさあダンスの曲を始めろと


夜明けの黒いミルクぼくらはおまえを夜に飲む
ぼくらはおまえを朝と昼に飲むぼくらはおまえを晩に飲む
ぼくらは飲むそして飲む
ひとりの男が家に住むそいつは蛇どもとたわむれるそいつは手紙を書く
そいつは日が暮れると手紙を書くドイツに宛てておまえのブロンドの髪マルガレーテと
おまえの灰色の髪ズラミートぼくらは空に墓を掘るそこなら寝るのに狭くない


かれは叫ぶもっと深く地面を掘れこっちの奴らそっちの奴ら歌えそして奏でろと
かれはベルトの銃に手をのばすかれはそれを振りまわすかれの目は青い
もっと深くシャベルを入れろこっちの奴らそっちの奴らもっとダンスの曲をやれ


夜明けの黒いミルクぼくらはおまえを夜に飲む
ぼくらはおまえを昼と朝に飲むぼくらはおまえを晩に飲む
ぼくらは飲むそして飲む
ひとりの男が家に住むおまえのブロンドの髪マルガレーテ
おまえの灰色の髪ズラミートかれは蛇どもとたわむれる


かれは叫ぶもっと甘く死を奏でろと死はドイツ出身の巨匠
かれは叫ぶもっと暗くヴァイオリンを弾けとそのときおまえたちは煙となって空に昇る
そのときおまえたちは雲のなかに墓が持てるそこなら寝るのに狭くない


夜明けの黒いミルクぼくらはおまえを夜に飲む
ぼくらはおまえを昼に飲む死はドイツ出身の巨匠
ぼくらはおまえを晩と朝に飲むぼくらは飲むそして飲む
死はドイツ出身の巨匠かれの目は青い
かれはおまえを鉛の弾で撃つかれはおまえを狙いどおりに撃つ
ひとりの男が家に住むおまえのブロンドの髪マルガレーテ
かれは自分の猟犬どもをぼくらにけしかけるかれはぼくらに空の墓をくれる
かれは蛇どもとたわむれるそして夢をみる死はドイツ出身の巨匠


おまえのブロンドの髪マルガレーテ
おまえの灰色の髪ズラミート

 この作品の解説。

 絶滅収容所で殺されたユダヤ人たち(=ぼくら)のコーラス。そのコーラスは、収容所で毎日「黒いミルク」を飲まされ殺されてゆく自分たちの、墓を掘らされるというもの。そのコーラスにはその合間に、収容所の指揮官であるドイツ人親衛隊員(絶滅収容所はおもに親衛隊が管理していた)の姿がさしはさまれる。いつまでもくり返され、とぎれることのないこの絶滅収容所での生活の現実が、句読点のない「フーガ」形式で、「ぼくら=死者」の「嘆きの歌」として歌われている。(中略)
(……)「夜明けの黒いミルク」について、(中略)メタファーとしてではなく、もっとも素朴に現実としてこの詩を読めば、この個所は、焼却された死体が空にのぼり、その黒い灰が四六時中、「ぼくら」の飲むミルクの中に降りそそぐということであろう。

 「マルガレーテ」と「ズラミート」について、

(……)このふたりの女性の名前はドイツとユダヤの文学のもっとも主要な作品を代表している。つまりゲーテの『ファウスト』と、聖書の「雅歌」である。(中略)ズラミートはすでに触れたようにユダヤ人を代表する女性で、ソロモンの花嫁となる。美しい娘であり、いわばユダヤ人の恋人。(中略)他方マルガレーテは、『ファウスト』ではブロンドの髪の少女で、ドイツ的な理想像、「永遠の女性」である。

 実際はこの10倍くらの詳しさで、「死のフーガ」が解説されている。優れた仕事だ。また、「死のフーガ」を理解することは、ドイツの偉大な画家アンゼルム・キーファーの作品の理解に欠かせない。
 相原勝は1952年生まれ、ツェランに関する数々の著書がある。


 以前紹介した細見和之フランクフルト学派』にも「死のフーガ」の解釈が載っていた。
細見和之『フランクフルト学派』を読んで(2015年2月5日)



ツェランの詩を読みほどく

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