椹木野衣『アウトサイダー・アート入門』を読む

 椹木野衣アウトサイダー・アート入門』(幻冬舎新書)を読む。きわめて刺激的な本だった。最初アウトサイダー・アートアール・ブリュットに関する啓蒙書かと思って読み始めた。とんでもないことだった。美術の再定義を要求するラディカルな=根源的な主張だった。
 一般にアウトサイダー・アートという言葉はアール・ブリュットと同義語として使われる。英語とフランス語だ。アール・ブリュットは戦後ジャン・デュビュッフェが使い始めた用語だという。「囚人や幻視者、未開人や精神障害者、未熟な子どもや老人たちの創作が持つ、公認の美術には見られない強烈な存在感」のある美術を指す。この言葉を直訳すれば「生の美術」になる。英国の研究者カーディナルはそのアール・ブリュットに代えてアウトサイダー・アートと呼んだ。それはデュビュッフェがその安易な転用を許さなかったからだ。ところが、アウトサイダー・アートと言うとき、「アウトサイダー」に由来する「悪」「外道」「異端」のような負のニュアンスが付きまとう。だから文化庁など国家が進んで公認しようとするとき、「生」「無垢」「純粋」のイメージがあるアール・ブリュットを採用することになる。
 それに対して椹木はアウトサイダー・アートという言い方を選ぶ。

……私は、たとえインサイダーからの分離もしくは隔離という問題は残るにせよ、行政のさじ加減で内実をいかようにも采配することが可能なアール・ブリュットよりも、容易には消せない負の痕跡を語の内に残した「アウトサイダー・アート」を進んで使うことから得られる効果のほうが、この.領域でなされる創作について理解するうえで、当面はずっと重要なのではないかと考えている。アウトサイダー・アートは、原理的にいって社会的弱者のみならず、ときと場合によっては反社会的な存在にまで開かれていなければならないし、そのことを知らせること自体にも、芸術という営みにとってきわめて大きな啓発的意味がある。アウトサイダー・アートのみならず、芸術とは根源的には善悪の彼岸に置かれているはずだからである。

 さらに椹木はアウトサイダー・アートについて踏み込んだ提案をする。

……アウトサイダー・アートは美術=アート=芸術といった近代以降の内輪そのものを突き崩し、未知の創造のフロンティアを切り開いていくものでなければならない。つまりアウトサイダー・アートの名に値する創作家は、美術はおろか、文学や音楽といった古典的な芸術の諸ジャンルさえ超えて、ありとあらゆる場面、局所にわたって存在しうる。一例を挙げれば、我流ということにアウトサイダー・アートの軸足を置くなら、私たちがふだん聞いているほぼすべてのポピュラー音楽は独学の産物であり、その意味では正統とされるアカデミックな音楽に対して、十分にアウトサイダー・アートの要件を満たしている。これは書店でふつうに売っている詩や小説にしても同様だろう。そのように考えれば、アウトサイダー・アートの領域とは、私たちが日頃慣れ親しんでいる大衆文化の総体をも含み込むものであり、もっといえば、障碍者や死刑囚のような特異な例に留めずとも、そもそも今ある世界がすでにしてアウトサイダー・アートの宝箱なのである。

 さらに大胆な主張が語られる。

 主に欧米でハイアート(高級芸術)に対するサブカルチャー(補完文化)として蔑視されている下位の領域は、今でこそアカデミックな芸術に対して傍流とされているけれども、実際には「アウトサイダー・アート」の保守本流にあたっており、今後、アウトサイダー・アートの価値観がさらに定着すれば、両者の関係は将来的には逆転するかもしれない。

 そして、

……少なくとも現在、公的な美術館で長く後世に伝えるために保存・公開されている近現代美術のコレクションの大半や、格式高い現代音楽のコンサートで演奏されているような難解な楽曲のほとんどは、100年後には誰も鑑賞せず演奏もしない過去の遺物となる可能性が高い。

 この序章に続いて椹木が本書で取り上げる作家たちは、ひとりでコツコツと石で「理想宮」を建設したフランスの郵便配達夫フェルディナン・シュヴァル、ロサンジェルスにこれもひとりで「ワッツタワー」という塔を建てた労働者のサイモン・ロディア、シカゴのアパートで60年以上にわたって誰にも知られず『非現実の王国で』という少女たちが悪と戦う膨大な小説とその挿絵を描き続けたヘンリー・ダーガー、戦前の江東区に二笑綺譚という奇妙な建物をつくった渡辺金蔵、戦時中、北海道の有珠山の火山爆発をひとりで記録しつづけた郵便局長の三松正夫、膨大な書と絵を描いた大本教の教祖出口なお出口王仁三郎六本木ヒルズの66プラザに大きな蜘蛛「ママン」という彫刻を展示しているルイーズ・ブルジョワ原美術館に常設されている白いタイルの部屋を作ったジャン=ピエール・レイノー、そして日本画家の田村一村、山下清と八幡学園の子どもたち。
 この各論を読んで、椹木の提案する美術の再定義は十分に説得力を持っていると感じられた。アートに関する画期的な驚くべき書だと思う。すると、わが師 山本弘アウトサイダー・アーティストだったのだ。