平田オリザ『演劇入門』がとても良い

 平田オリザ『演劇入門』(講談社現代新書)を読む。これがとても面白い本だった。初版が1998年だが、去年誰かが推薦していたので購入した。そのまま読まないで本棚に差してあった。その時点ですでに23刷だった。売れているらしい。
 そして先月朝日新聞の書評欄のコーナー「思い出す本 忘れない本」に映画監督の本広克行が本書を推薦していた。それを紹介する。

 『演劇入門』を読んだのはアクション映画「少林少女」を撮り終えた頃。戯曲の書き方や役者との向き合い方が書かれたハウツー本で、目から鱗の連続でした。それまで演劇は難しいと構えていたんですが、読み終えて、オリザさんの演劇を見てとても感動しました。彼のメソッドを広く世に知らしめたら、演劇の文化はもっと豊かになる。そう確信しました。なにより、このテクニックを僕の作品に生かしたいと感じたんです。
 すぐにオリザさん主宰の青年団に弟子入りして演劇を勉強。2010年に、この本が原案の舞台を演出しました。劇団ハイバイ主宰の岩井秀人くん脚本で、彼が演劇に出会い「演劇とは何か」を考える過程を描いたもの。何度も読み合わせをして本はぼろぼろ、もう3冊目です。(中略)
 今回監督した映画「幕が上がる」は、オリザさんの初めての小説が原作。ゲラの段階で見せてもらい、刊行時には映画化権が僕にあったんです。『演劇入門』から始まった縁でここまで来た。中途半端なものは作れない。いつも以上に必死でしたね。主演の「ももいろクローバーZ」には、この本の実践版『演技と演出』の内容を全部伝えて、徹底的に稽古しました。(後略)

 私もやっと読みました。いやあ面白い。戯曲を書くにあたって、テーマを先に考えてはならない、なんて言っている。当然なぜかと思うが、平田の答えはしごくもっともだ。
 平田は、演劇は誰でもそこに参加できる表現形態だと言っている。また戯曲は誰もが書けるものだとも言っている。平田は戯曲を書く講座を各地で開いている。その戯曲の講座では、最終的に参加者に短い一幕ものの芝居を作ってもらうことで完結する。その具体的な方法が語られている。なるほどハウツー本だというのがよく分かる。ではこれは演劇関係者以外には役に立たない本かと言えばそれは違う。芝居を見るにあたってもとても参考になるだろう。15年足らずで23刷りになっているのでも、多くの人が面白いと思っているからだろう。
 平田がオーディションで役者を選ぶときのエピソードも面白かった。オーディションの受験者から、どういう根拠で採用、不採用を決めるのかと訊かれて、平田が提示した基準は、

……私は次のような条件の俳優を、劇団員として採用する。


 一つは、コンテクストを自在に広げられる俳優。
 もう一つは、私に近いコンテクストを持っている俳優。
 そして最後に、非常に不思議なコンテクストを持っている俳優。

 平田は「コンテクスト」について説明する。

「コンテクスト」とは、直訳すれば「文脈」のことであり、「その単語はどういうコンテクストで使われているの?」などと言うのが一般的な使用法である。だが、ここでは、この言葉をもう少し広い意味で使うことにしたい。ここで言う「コンテクスト」とは、一人ひとりの言語の内容、一人ひとりが使う言語の範囲といったものと考えてもらいたい。
(中略)
 ここに、少し脚の高いちゃぶ台がある。机のようでもあるし、箱か踏み台のようでもある。私はいま、ちゃぶ台と書いたが、さて、これをあなたは何と呼ぶだろうか。机と呼ぶ人もいるだろう。テーブルと呼ぶ人もいるだろう、箱と呼ぶ人もいるだろう。これは「コンテクスト」のずれの代表的な事例である。

 それが実例で示される。

 1994年に、私はオーディションで選んだ女子高生21人と『転校生』という芝居を創った。このときの稽古場では、私のコンテクストと女子高生のそれとの乖離がはなはだしく、予想もつかないところで、「台詞が言えない」という現象が起こった。例えば、
「帰りにマクドナルドに寄ってかない?」
 という台詞が、どうしてもうまく言えない。他の台詞は普通に言えるのに、こんな簡単な台詞がなぜ言えないかと思うのだが、よく聞いてみると、彼女たちは、マクドナルドを「マクドナルド」と呼ぶことはないのだと言う。マクドナルドは総じて、「マック」と呼ばれるのであって、だから、この台詞は、
「帰りにマックに寄ってかない?」
 ならばOKなのだ。これがもし、関西の女子高生なら、
「帰りにマクド寄ってかへん?」
 となるだろう。
 彼女たちのコンテクストの中には、「マクドナルド」という単語がないのである。(後略)

 平田オリザ原作で、本書を推薦している本広克行が監督をした映画『幕が上がる』も見てみたいと思った。

演劇入門 (講談社現代新書)

演劇入門 (講談社現代新書)