『友川カズキ独白録』を読む

 『友川カズキ独白録』(白水社)を読む。歌手の友川カズキが編集者の佐々木康陽相手にしゃべったものをまとめたもの。これがすごくおもしろかった。友川について、巻末の紹介に「歌手のほか、詩人、競輪愛好家、酒豪としても知られる」とある。

 私は共感とか「同じだ」という認識より、「違う」とか、違和感だとかの方がずっと大事だと思う。「癒し」なんて言葉も大嫌いだ。卑しい。ケンカしてやり合ってる方がまだスッキリするよ。「絆」なんてのもまったくそう。あれはね、どっかの坊さんが大きな筆で書いた時点でもう死語になったよね。言葉なんてね、そうやってあっさり死んでいくんですよ。

 「癒し」を卑しいなんて言ってくれてホント我が意を得た気持ち。
 沖縄の左喜眞美術館には丸木位里・俊の「沖縄戦の図」という巨大な絵画が常設展示されている。

「集団自決とは手を下さない虐殺である」


 絵の左端にあった一文。
 この「集団自決」という部分、色んな文言に置き換えられますね。

 友川は競輪愛好家だと紹介されている。

 私自身、ギャンブルやってなかったら気づかなかっただろうということは、結構あるんですよ。
 オレね、成功者が語る人生訓みたいなのは好きじゃないんだけど、競輪選手の間でよく言われる格言めいた言い回しに、「練習が仕事で、レースが集金」っていうのがあって。
 これは非常にいい言葉だね。実はね、私もそういう気分でステージに立っている節はあるんですよ。

 中上健次と森敦と友川の3人で酒を飲んでいるとき、

……中上さんと森さんは込み入った文学だか文壇だかの話をしてるし、オレも飽きて来ちゃってさ。そうしたら、森さんなりに気を遣ったんだろうけど、私のほうを見て「さだまさしをどう思う?」って聞くのよ。森さんってさだまさしの後援会長かなにかやってたんですよね。それで私、「全然つまらないですね」って正直に答えたんだけど、非常に気まずい雰囲気になっちゃって。まぁ、当然だわな。それで私もいたたまれなくて、「ごちそうさまでした!」って言って、勝手に席を立っちゃった。

 まあ、森敦に限らず、偉い人物がつまらないタレントなどのファンだったりすることは珍しくない。
 昔、友川の歌手業が開店休業中だった頃、渋谷にあったアピア(ライブハウス)に「どうして友川を出さないんだ?」ってしょっちゅう電話してくれていた若い男性ファンがいた。20年以上経って、偶然その電話の主に会った。

 彼は芸人になっていて、たまたま私がゲストで呼ばれたイベントに演者の一人として出演していたんですね。その時、初めて「あの時電話をしていたのは私なんです」って面と向かって言われてね、いやぁ、驚きました。おちんちんの皮に卵を何個も入れて、割らずに戻すっていうすばらしい芸の持ち主なんですけど。その芸にも感動しましたけどね。

 この「芸」が具体的にイメージできない。極端に大きい包皮なのだろうか?
 さて、友川が紹介する秋田の鍋物、「だまこ鍋」がおいしそうだ。「だまこ」って、炊いたうるち米を粒の食感が舌に残るぐらいにすり鉢で潰す。それをゴルフボールくらいの団子状にして地鶏とゴボウでダシを取った醤油ベースのスープで煮て食べる。適当に煮立ってきたら大量のセリを根っこごと入れる。「鳥と醤油とセリの青臭さが混ざった何とも言えないいい香りがモワァッと鼻を撫でるとね、もう酒なんか飲んでる場合じゃない。これはやっぱり白メシに合うんだな。米をおかずに米を食うってのも変ですけど、煮詰まったら煮詰まったでね、味が深くなってさらに美味い」。これは食べてみたい。
 友川カズキの歌を聴いてみた。アルバム『イナカ者のカラ元気』、これがとても良かった。ちょっと三上寛に似た風合いだ。知らなかった、こんなにいい歌手だなんて。なんとなく泉谷しげるとごっちゃにしていた。ただ、友川カズキの個展は90年代ころ銀座のギャラリー・ケルビームで何度も見ていた。抽象作品を描いていた。でもGoogleで検索すると、最近はイラストのような顔を描いている。ちょっと野見山暁治のドローイングに似ていて悪くない。

友川カズキ独白録: 生きてるって言ってみろ

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イナカ者のカラ元気

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