木田元『マッハとニーチェ』を読む

 木田元『マッハとニーチェ』(講談社学術文庫)を読む。副題が「世紀転換期思想史」というもの。これが意外におもしろかった。ニーチェはともかく、マッハなんてすでに過去の哲学者だと思っていたのは私の無知だった。転換期における重要な存在だった。
 雑誌『大航海』に15回に分けて連載したものなので内容の割に分かりやすい。世紀転換思想史をマッハとニーチェという切り口で語ろうというのは、フッサールの創唱した現象学という用語の源泉がエルンスト・マッハにあることを知ったことからだという。調べてみると、マッハの影響はアインシュタイン相対性理論ウィーン学団論理実証主義ウィトゲンシュタインの後期思想、ハンス・ケルゼンの実証法学にも及んでいた。レーニンが『唯物論と経験批判論』を書いたのも、経験批判論を基底に据えてマルクス主義の革新を企てる者たちが現れて、影響力を強めていたためだった。
 ニーチェに関しては、ハイデガーへの影響のこともあり、またマッハとニーチェという二人の影響がホーフマンスタールやゲーテヘルダーリン、ローベルト・ムージルにも強く及んでいることから、二人を2つの焦点にして19世紀後半から20世紀前半にかけての思想史を書いてみようと思ったという。
 アインシュタインはマッハへの追悼文で、「マッハは古典力学の弱点を認め、半世紀も前に一般相対性理論を求めるにあとちょっとのところまできていた。……マッハがまだ若く彼の頭脳が柔軟であった時期に、物理学者たちのあいだで光速の一定性ということが問題にされているようであったら、マッハこそが相対性理論を発見していたであろう……」とまで言っている。
 マッハの〈感性的要素一元論〉はヴントの〈要素心理学〉や〈要素還元主義〉と異なり、むしろ要素の寄せ集めに還元されない全体のまとまりに目を向ける一種の〈全体論〉を志向していた。その着想に示唆されて、エーレンフェルスが「〈ゲシュタルト質〉について」を書き、それがゲシュタルト心理学の出発点となった。

グラーツ学派も、当時の心理学の大前提であった〈恒常仮定〉――外界の刺戟と感覚は1対1の関係で対応しているという仮定――をやはり前提にしないわけにはいかなかったのである。だが、この仮定こそ、ベルリン学派が攻撃の的にしたものであり、これを打ち破ることによっていわゆる〈ゲシュタルト心理学〉が成立することになる。

 フッサールの思索もグラーツ学派などによるゲシュタルト理論の形成と並行あるいは交錯しながら進行していった。またフッサールは、〈志向的体験〉というフッサール現象学のもっとも中心的な概念さえもマッハに由来するものだと示唆している。さらにフッサールはマッハの講演から〈現象学〉の概念の示唆を得ただろうことが推測できる。
 最初に「内容の割に分かりやすい」と書いたが、紹介しようとすると、やっぱり難しい。だが世紀転換期思想史の大変コンパクトな手引書であることは間違いない。このあたりに興味があったら面白い読書になるだろう。フッサールを読む前にメルロ=ポンティを読んで見よう。