『我が愛する詩人の伝記』を読む

 室生犀星『我が愛する詩人の伝記』(中公文庫)を読む。犀星が親しんだ詩人たちで先に亡くなった彼らを悼んで小伝を書いたもの。北原白秋から島崎藤村まで11人を扱っている。以前高校生のころ、ほぼ50年前に読んでいる。たのしく読んだ記憶がある。
 その印象は今回も全く同じだった。
 犀星は萩原朔太郎について、詩のほかに自分と違って評論も良かったと書いている。

(……)萩原は七、八冊のノートに書きこんだ評論を暇にまかせて、どこから出版されるというあてなしに書きためていた。非常に早く書く方でありその辞句のあやつりも巧みであってああいう一見だらしのない人物が、よくも秩序を保たなければならない論文が、すらすらとながれる如くに書けるものだと思っていた。私なぞ評論風なものを二、三枚書くのにホネが折れ、うまく文章が連れ立って来なかった。彼は小説はむつかしいが評論は訳がないといい、私は小説はうまく書けても評論はひちくどくて書けないといっていた。

 犀星は評論がうまく書けないと言っている。そのとおりで、本書の文章もうまいどころか下手と言ってもいいくらいだ。しかし、その下手な文章でつづられる詩人たちの伝記がとてもいいのだ。それは、犀星が彼らと親しく付き合っていて、文献からなどではない生きた交流から生まれた人物評であり詩評であるからだし、何よりも犀星の人柄の良さに由来するだろう。犀星は飾らないし率直で、そのことが文章によく表れている。
 若い時、犀星は白秋が編集する『朱樂(ザムボア)』という雑誌に詩を投稿する。白秋はそれを掲載してくれた。

(ずっと十年も後の年、私が小説を書くようになってから、酒席ではあったが白秋はひときわ真面目な顔付で、どうも君くらい原稿の字の拙い男はない。あて字だらけでみみずの赤ん坊のようでまるで読めなかったと彼は微笑(わら)って言った。では何故掲せたのだときくと、字は字になっていないが詩は詩になっていたからだ、故郷の郷という字も碌にかけない男だと、彼は妙な愛情で私の字の拙いことを心から罵ってくれた。)

 萩原朔太郎とは詩を投稿していた若い頃に知り合って本当に親しく付き合った友人だった。朔太郎はハンサムで、犀星は醜男だった。しかし詩についてはお互い尊敬しあっていて親友だった。ハンサムな男と醜男が親友になるのは不思議な気がするが、私の経験上よくわかる。
 釋迢空の弟子との関係を書いても、三島由紀夫が書いたのとは違って嫌味がない。堀辰雄立原道造津村信夫と抒情的な詩人が続く。立原は私も昔愛読していたし、津村の「愛する神の歌」は暗唱していたものだった。たしか高校の教科書に載っていたのではなかったか。その教科書にはほかに村野四郎と谷川俊太郎が並んでいた。
 本書の後半になると、犀星の熱意が少し薄れていくような印象がある。『婦人公論』という雑誌に毎月連載していたのだが、やはり好きな詩人から書いていったのだろう。
 とても気持ちの良い読書だった。


我が愛する詩人の伝記 (中公文庫 (R・19))

我が愛する詩人の伝記 (中公文庫 (R・19))