先日千葉市美術館の「赤瀬川原平の芸術原論」を見たのをきっかけに尾辻克彦(=赤瀬川原平)の『東京路上探検記』(新潮文庫)を読んだ。そこに東京の中心として皇居を捉える考察があった。
東京の中心を環状の山手線が回っている。黄緑色の電車がぐるぐる回る東京の渦巻きである。その外側を自動車道の環状7号線が回り、環状8号線が回り、さらに外側を外環状線が回っている。
視野をこんどは山手線の中心に狭めていくと、その中にもう一つ小さな渦巻きが見える。電車よりもぐっと細い有機的な点線が円形に回転するのが見えて、それはジョギングをする人々である。山手線の中心にできている円形のお濠の回りを、何人ものジョギングの人々が回転している。外側の山手線よりはるかにゆっくりとした流れである。そのジョギングの回転の内側にはお濠があって、水はほとんど流れていない。白鳥がぽつん、ぽつんと、静かな水の上に停泊している。そんなお濠がぐるりと丸くあって、その内側は皇居である。
皇居はいつもシンとしている。東京都の中心にあって、ここだけが動きを止めている。ミルクの渦巻きの中心点である。そのすぐ外側をジョギングの人々が回転し、山手線が回転し、環7環8と自動車やトラックがぐるぐると動き回っていても、その渦巻きの中心点は静止している。周辺に無数の爆弾が落ち、あちこちで大火災が発生し、東京中が真っ赤な火炎の渦巻きとなっても、その中心点は静止していて、何の変化も起らない。戦後の経済成長の高速回転で、東京中にビルがにょきにょきと増殖して、高速道路がほつれたゴム紐みたいにぐるぐるに東京中を伸び回っても、その中心点は静止して変らない。(中略)
高速回転する東京も、その回転軸の中心に同じ構造(銀河系の中心に巨大ブラックホールがある構造)を抱えている。静止する中心点はがらんどうに見えるのだ。しかしそれは巨大な質量の塊である。光が巨大天体によって進路を曲げられてしまうように、東京の地下鉄路線は渦巻きの中心点にある皇居の存在によって進路を曲げられている。上空を飛ぶ飛行機もまた、その存在の影響を受けて航路が曲がり、そこを直進することができないでいる。
これとほぼ同じことをロラン・バルトが書いていた。『表徴の帝国』(ちくま学芸文庫)の「中心‐都市 空虚の中心」から、
わたしの語ろうとしている都市(東京)は、次のような貴重な逆説、《いかにもこの都市は中心を持っている。だが、その中心は空虚である》という逆説を示してくれる。禁域であって、しかも同時にどうでもいい場所、緑に蔽われ、お濠によって防禦されていて、文字通り誰からも見られることのない皇帝の住む御所、そのまわりをこの都市の全体がめぐっている。毎日毎日、鉄砲玉のように急速に精力的ですばやい運転で、タクシーはこの円環を迂回している。この円の低い頂点、不可視性の可視的な形、これは神聖なる《無》をかくしている。現代の最も強大な2大都市の一つであるこの首都は、城壁と濠水と屋根と樹木との不透明な環のまわりに造られているのだが、しかしその中心そのものは、なんらかの力を放射するためにそこにあるのではなく、都市のいっさいの動きに空虚な中心点を与えて、動きの循環に永久の迂回を強制するために、そこにあるのである。このようにして、空虚な主体にそって、〔非現実的で〕想像的な世界が迂回してはまた方向を変えながら、循環しつ広がっているのである。
どちらが早いのだろうと調べてみた。赤瀬川のエッセイの初出は『芸術新潮』1985年12月号、ロラン・バルトの翻訳は最初新潮社から1974年11月に発行された。
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