『大古事記展』と桃の実

 奈良県立美術館で奈良県主催の「大古事記展」が開かれる(10月18日〜12月14日)。『古事記』を題材とした絵画や古社に伝わる宝物、それに考古・文献資料などが展示されるという。東京で開かれたそのシンポジウムに参加した。
 展示予定品のパネル写真があって、国宝七支刀や重要文化財禽獣葡萄鏡なども展示されるらしい。絹谷幸二の絵画「天の岩戸 曙光」や「天孫降臨」、堂本印象の「木華開耶媛(このはなさくひめ)」、山口藍などの絵画も展示されるというが、これはご愛敬以外の何ものでもない。
 パネルには桃の種の写真もあって、奈良県纒向遺跡から出土した3世紀の桃の種だという。桃は中国から入ってきて、それまで日本にあった桃は、中国の桃と区別して「山桃(ヤマモモ)」と呼ばれるようになった。その中国の桃には霊力があることも一緒に輸入された。それが『古事記』で語られるイザナギが黄泉の国で鬼に追いかけられたとき桃の実を投げつけて助かった話に繋がっている。
 そのことに関連するが、植物学者の前川文夫に『日本人と植物』という岩波新書がある。それの3.が「小正月のオッカド棒と桃の信仰」と題された章だ。
 小正月とは1月15日のことで、オッカド棒は小正月に山村で行事として作るものの一つだとある。

 オッカド棒は御門棒の意味で、カツノキ(ヌルデ)の太目の枝を長さ30センチほどに切って2本用意する。根元に近い方を男に、先に近い方を女にする。片端の皮を剥いで、時にはそこを削り、それぞれに男女の顔を描く。(中略)これを13日頃に作り、家の入り口に杭を打ってそれにくくりつけておく。(中略)これは穀物の豊穣を祈るだけでなく、悪いものが家の中へ入ってくるのを禦ぐという性格のものでもある。そして20日にはもう取り払って焼いてしまうのである。

 この風習は多摩から秩父甲州、信州、上州、伊豆の方にもひろがっている。簡単化されて棒だけになっているところもある。ヌルデのほかニワトコ、キブシを使うところもある。
 そしてなぜヌルデなどが使われたかを考察し、中国から渡来した桃の代用品ではないかと結論付ける。桃は古代から中国で霊力を持つとされてきた。その信仰を帰化人が日本にもたらしたが、日本には桃がなかった。ヌルデ等の葉の付き方が桃に似ているので代用とされたのだと結論している。正確には桃が枝の両側に細長い葉をたくさん付けるのに対して、ヌルデは羽状複葉と言って枝ではなく葉なのだが。
 私の生まれは長野県の南部、飯田市の隣の喬木村という山村に近い農村だが、そこでは小正月ネムノキの枝を30センチくらいに切り、それを二つに割って「十二月」と書き、これを「オニギ」と呼んで門口の両脇に置く習慣がある。
 前川の本を読んだとき、これは同じものだと思ったが、なぜネムノキを使うかもこの時初めて知った。やはり葉が「2回羽状複葉」なのだ。これも桃の代用だった。
 「十二月」と書くのは、鬼にまだ12月で新年ではないと油断させるためだという。この風習は喬木村のみならず飯田地方一帯に行われているようだ。
 『大古事記展』のシンポジウムに出て桃の種の写真を見たとき、この話を思い出したのだった。


桃の葉

ネムノキの葉
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古事記
2014年10月18日ー12月14日
奈良県立美術館
http://www.pref.nara.jp/miryoku/daikojikiten/


日本人と植物 (1973年) (岩波新書)

日本人と植物 (1973年) (岩波新書)