野長瀬正夫詩集を読み直す

 野長瀬正夫詩集『夕日の老人ブルース』(かど創房)を数年ぶりに読み直した。野長瀬の詩は楽しい。詩人は明治39(1906)年奈良県十津川村生まれ、出版社"金の星社"編集長を経て昭和59(1984)年に亡くなる。享年78歳。ユーモアたっぷりの詩を書いている。

旅路の終りに近く



六十に手のとどく年になってから
はたちの娘さんと ともだちになった
陽気で茶目っ気のある その娘は
駅で待ちぶせしていて
おれをびっくりさせるようなこともした
会えばすぐ手を組んで歩きたがるので
おれはてれくさくて閉口した


せがまれて 奥秩父へ旅したことがある
ものさびしい山の宿の夜ふけ
「すこし寒いわ」と言って
彼女は おれの寝床にもぐりこんできた
おれは おでこに軽くキスしてから
背中あわせになって
ねぐるしい旅の一夜を明かすことになった


彼女の不幸な生い立ちを知ったのも
その夜のことである
おれは 自分の娘のことを考えた
生きてゆくのも辛い世の中だが
娘たちのために
あと何年か生きてゆかねばなるまいと−−


それから三年ほどすぎた ある日
彼女は子どもを抱いて
突然、おれを訪ねてきた
すこしはじらいをふくんだ若い人妻を
おれは あらためて美しいと思った
「ほら、おじさまよ、わかる?」
そう言って まだ口もきけない赤ん坊を
おれのほうに差しむけた


世の中とは あわれなもの、おかしなものよ
おれはすっかりおじさま気どりで
彼女の手から赤ん坊を抱きとった
赤ん坊は よく笑った
おれも笑った

老人痴語



ゆうべは大変なことをしてしまった
会社の女の子と寝たのだ
おれは この数年、
その娘の結婚について
真剣に心配していたところだった
それなのに いっしょに寝るなんて
なんという不道徳人間、
なんという助平爺だろう
目がさめて、
「ああ、夢でよかった」と安心したものの
夢で残念、という気もした
この馬鹿め!

煩悩無残



もういっしょに寝るのはいやです、
と老妻が言い出したので
「ほならやめとこか」と軽く受け、
二階と下で べつべつに寝ることにした
それから何年かたった
おれはずいぶん修養をつんだつもりであるが
この世の名残りに
せめてもう一ぺんだけ、という気が起った
しかし、おれはこれでも精神派だから
だれとでもいいという訳にはいかない
思案にあまって ある晩、
下の部屋へ降りていったところ
老妻の寝床には 白髪の山姥(やまんば)が
頭だけ出して眠りこけていたので
おれは諦めて そっと引き返した。

 野長瀬はこんな詩を書いているので娘から注意もされる。「娘とおれ」という詩の一部は、

嫁入り先の娘から電話がかかってきた
お父さん、あんまり変な詩は書かないでね、
はずかしいじゃないの
お小遣いがない時は言ってよね、
聞いてるの? 古稀のお祝いに
スーツを買ってあげようと思っているのよ。

 ほかにも女性と京都へ行ったが、宿でビールを飲んだら眠くなって、目がさめたら朝になっていた。あいてはすでに身支度を整えていて「わたくし、ひと足さきに帰りますから……」と言われたエピソードや、旅先で相手からお友だちでいましょうと言われたこと、山の湯宿で大柄な女に手枕され、おれは子どものように乳房をまさぐり、なんて経験が詩にされている。けっこう遊んで楽しんでいる。
 社会性に関することは書かれなかったし、新しい修辞が使われているわけでもない。ユーモアと老人の性が少し描かれて楽しい詩なのだ。
 ただ、ちょっと不満を。「旅路の終りに近く」で、はたちの娘と奥秩父の山の宿へ泊まり彼女の不幸な生い立ちを知った。おそらく娘は早くに父親を亡くしたのだろう。その時の詩人の反応が「おれは 自分の娘のことを考えた/娘たちのために/あと何年か生きてゆかねばなるまいと−−」というのはどうなんだろう。もう少し不幸な娘に寄り添った反応ができなかったものか。


夕日の老人ブルース―野長瀬正夫詩集 (1981年)

夕日の老人ブルース―野長瀬正夫詩集 (1981年)