東野圭吾『疾風ロンド』を読む


 東野圭吾『疾風ロンド』(実業之日本社文庫)を読む。昨年11月17日の朝日新聞朝刊に本書の全面広告が載った。冒頭の写真がそれだが、そのコピーが、

まさかの文庫書き下ろし!!


こんなに面白くなるとは!
自分でも驚き
東野圭吾


「いきなり文庫」で107万部!!
すべての鍵は、禁断のゲレンデにあり。

 文庫本1冊のために新聞に全面広告を打っている。角川文庫とか幻冬舎文庫などが、今月の新刊として文庫版だけの全面広告を打つことはときに見かけるが、たった文庫本1冊のためだけにここまで大きく宣伝していると驚いた。
 で、半年以上経ってようやく読んでみた。大学病院の研究室で秘かに生物兵器となる炭疽菌を研究している。その研究員が首になったのを恨んで炭疽菌を盗み出し、スキー場の立入禁止のゲレンデの雪の中に埋めて、元の上司を脅迫して金を取ろうとする。容器は雪が溶けると壊れて炭疽菌がばらまかれる仕組みだ。容器を埋めた近くの木に発信器を入れたテディベアを吊し、金と引き替えにその場所を教えるとメールを送る。ところが男はスキー場からの帰途交通事故で死んでしまう。発信器の電池の寿命は数日間しかない。どのように容器を回収するのか。
 400ページ近い文庫だが、すいすいと読めてしまう。文章が無色透明に近く、意味=物語を伝えると消えてしまう。次々に事件が起こっているように見えるが、実はたいしたことはない。面白くするために作者が恣意的に手を加えているだけに思えてしまう。物語に内在する必然性が感じられないのだ。400ページあるのに、あまり複雑な展開はなくて物語がどんどん進行し、気が付けばもう大団円を迎えてしまっている。これはどういうことだろう。
 それは個々のエピソードが薄いのではないか。一つのエピソードを語るのに文章が軽く、濃密に書き込まれていないので、厚いページにもかかわらず読み飛ばすことになってしまうのだ。人物の造型が弱いこともそれに資するだろう。だから物語の展開が作者のご都合主義になってしまっている。
 朝、家を出るときに持って出て、電車の中や講演会の待ち時間などで大方を読み、帰宅して半時たらずで読みおえてしまった。昨年全面広告を見たあと、書店には本書が山積みされていた。出版社は広告出稿代くらいは回収できたのだろうか。