神奈川県立近代美術館 葉山で宮崎進展「立ちのぼる生命」を見る


 神奈川県立近代美術館 葉山で宮崎進展「立ちのぼる生命(いのち)」が開かれている(6月29日まで)。宮崎は1922年、山口県生まれ。20歳で日本美術学校を繰上卒業し出兵、敗戦後1949年までシベリアに抑留された。1967年には安井賞を受賞している。
 宮崎の主要な作品はドンゴロス(麻袋=麻布)で作られている。麻布を何枚も重ねて貼り合わせ、絵の具が塗り重ねられる。麻布の上に人体や顔が描かれることもある。非常に重苦しい作品だ。宮崎は自身のシベリア抑留体験を作品にしている。
 初期の風景や労働する人を描いた作品も暗いものだったが、やがて麻布を貼り合わせたシベリアシリーズが始まる。タイトルを見ても「絶望」「生きるもの」「孤独な人」「不安な顔」「ラーゲリの壁」「いたましきもの」と厳しい言葉が続く。ラーゲリとはソ連の捕虜収容所のことだ。
 宮崎の言葉。「そこでの悲惨な生活は写実的に描くことでは絶対に表現できない。そのような思いから、わたしは、シミだらけの襤褸(ぼろ)のような布のコラージュを手法として用いた」。それらの厳しい暗い作品を見ていると、シベリアのラーゲリの生活とはどんなに苛酷なものであったのか、それが毎日毎日何年間も続いたのだと、いま美術館にいながらも辛い気持ちになってくる。
 3番目の区画「花咲く大地」の部屋に入ると、麻布のコラージュ作品であることは変わらないものの、「野草」「荒地の花」「花咲く大地」「黄色い大地」と題されているように、赤や黄土色が目立ち、わずかな暖色にシベリアの大地の春を感じる。寒く辛い冬が終って春が来たことを喜ぶ画家の心が伝わってくる。
 そして「立ちのぼる生命」と題された部屋。「泥土」「黒の風景〈鎮魂〉」「地の骨」と題された作品が並んでいる。シベリアの凍てついた固い大地が溶ければぬかるみが現れるのか。「壁」はラーゲリの壁なのだろう。絶望の壁だ。
 シベリア抑留といえば香月泰男を思い出す。香月の方が宮崎に比べればまだ少し厳しくないかもしれない。10年ほど前、銀座のみゆき画廊で個展をしていた老画家が、香月のシベリアの作品なんて甘い、おれの絵が本当のシベリアだと言っていた。なるほど老画家の作品はずっと写実的で辛そうな抑留生活を描いていた。だが、作品は単なるルポルタージュではない。老画家の作品はラーゲリを正しく伝えているかもしれないが、美術作品としては香月の作品に遠く及ばなかった。
 宮崎と香月の違いは何によるのだろう。二人の人格とか人生観だろうか。宮崎はあのように暗く重苦しくしか表現できないのだ。

 シベリア抑留体験者といえばもう一人、詩人の石原吉郎を思い出す。石原の代表的エッセイ『望郷と海』が手元にないので引けないが、『石原吉郎詩集』(思潮社)の「三つのあとがき」から、


 〈すなわち最もよき人びとは帰っては来なかった〉。〈夜と霧〉の冒頭へフランクルがさし挿んだこの言葉を、かつて疼くような思いで読んだ。あるいは、こういうこともできるであろう。〈最もよき私自身も帰っては来なかった〉と。今なお私が、異常なまでにシベリヤに執着する理由は、ただひとつそのことによる。私にとって人間とは自由とは、ただシベリヤにしか存在しない(もっと正確には、シベリヤの強制収容所にしか存在しない)。日のあけくれがじかに不条理である場所で、人間は初めて、自由に未来を想いえがくことができるであろう。条件のなかで人間として立つのではなく、直接に人間としてうずくまる場所。それが私にとってのシベリヤの意味であり、そのような場所でじかに自分自身と肩をふれあった記憶が、〈人間であった〉という、私にとってかけがえのない出来事の内容である。



 「もしあなたが人間であるなら、私は人間ではない。もし私が人間であるなら、あなたは人間ではない。」これは、私の友人が強制収容所で取調べを受けたさいの、取調官に対する彼の最後の発言である。その後彼は死に、その言葉だけが重苦しく私のなかに残った。この言葉は挑発でも、抗議でもない。ありのままの事実の承認である。(後略)

 人間が人間ではなくされてしまう場所、それがシベリアだった。それを体験した画家は、もう東山魁夷平山郁夫のような明るいだけの脳天気な絵は描くことができなかった。
 とても良い展覧会だが、美術館のある葉山は遠い。逗子駅からさらにバスで20分ほどもかかるのだ。それでも行かれることをお勧めする。
 最後にちょっとだけ付け加えると、宮崎進の人物を象った立体作品だけは理解することができない。奈良美智にも共通するのだが、画家には立体作品を制作することが難しいのではないだろうか。
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宮崎進展「立ちのぼる生命」
2014年4月5日(土)−6月29日(日)
9:30−17:00(月曜日休館)
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神奈川県立近代美術館 葉山
神奈川県三浦郡葉山町一色2208-1
電話046-875-2800
http://www.moma.pref.kanagawa.jp