林典子『人間の尊厳』を読む

 林典子『人間の尊厳』(岩波新書)を読む。標題の前にフォト・ドキュメンタリーと付されている。林は報道カメラマンだ。1983年生まれ、大学在学中の2006年、アフリカのガンビア共和国の新聞社で写真を撮り始める。その5年後早くも名取洋之助写真賞受賞、2013年にはフランス世界報道写真祭ビザ・プール・リマージュ報道写真特集部門で最高賞を受賞している。林はきちんとした写真教育を受けていない。それがこんな短期間で報道写真の大きな賞を受けている。
 本書は6つの章からなっている。独裁政権が続いていて報道の自由がないガンビア、ここで初めて取材に取り組むが、汚職や腐敗を取材した同僚たちが不法逮捕や拷問に怯えながら匿名で記事を発表している現場を垣間見る。やがて国家情報庁で尋問された同僚の死を伝えるメールが突然届く。
 リベリア共和国の状況はもっと悲惨だった。内戦直後で治安が悪化していて難民が多く、首都モンロビアは混乱していた。当時の失業率85%、平均寿命57歳、15歳以上の識字率60%。

 リベリアでは内戦中、武装勢力によって一般市民の手足切断、殺人、少女に対する強姦など残虐な行為が繰り返されていた。モンロビアの中心部には手や脚を切断された多くの人々が行き交っていた。十分な治療を受けられず、被害者が死亡することも数多くあった。(中略)
(……)被害者の一人、ダエテ・ウィリアムズの自宅に連れて行ってもらった。(中略)ダエテは16歳の娘と11歳の息子、そして、この父親と小さなプレハブ小屋で、4人で暮らしていた。妻は既に亡くなっていた。(中略)
 ダエテの稼ぎはモンロビアで行う物乞いで1日約2ドル。これで家族4人を養っている。毎日午後3時にはきり上げて自宅に帰る。食事を1日1回しかとれないため、夕方以降は空腹で杖を使って街中を歩き回る体力がないのだという。
 かつてはエンジニアとして働いていたが、内戦が激化し始めたころ、武装勢力に襲われ、斧で左足を切り落とされたという。

 カンボジアではHIVの患者家族を取材する。WHOの発表では、母子感染でHIVに感染して生まれる子どもの数は年間2,500〜4,000人だという。
 林は8歳の少年ボンヘイの家に泊まり込んで取材する。ボンヘイは母子感染のHIV患者で、生まれたときから耳が聞こえず、言葉が話せず、左目の視力も失っている。エイズに感染している30歳の母親と祖母の3人で住んでいる。祖母が近所の人の洋服の洗濯をして1日1ドルを稼いで一家を支えていた。
 2年後に訪ねると母親は亡くなっていて、ボンヘイと祖母が2人で暮らしていた。しかしボンヘイは母親が亡くなったことを理解できない。生活はボンヘイが空き缶を集めてそれを売っている。祖母は結核を患っていて視力を失いつつあった。ボンヘイは今もHIVに感染していることを知らない。
 パキスタンでは結婚を断って男たちから顔に硫酸をかけられた女性たちを取材した。被害者は年間150〜300人、その大半が10代の女性たちだ。しかし、この数字は氷山の一角にすぎないという。被害者の女性たちの顔写真が掲載されている。嫉妬のため夫の弟から硫酸をかけられたり、愛人になるのを断ったため被害にあった女性もいた。不条理というのは彼女たちにこそ当てはまるだろう。
 ほかにキルギス略奪結婚や、日本の震災と原発が取材されている。
 林は10年間無事で取材から帰国できたようだが、相当危ないところへ行っている。無事だったのは幸運だったとしか思えない。ある意味無謀なほどの探求心が、若くして大きな写真賞を受賞したことに繋がったのだろう。
 本当に凄まじい内容で、ただただ圧倒されながら読んでいたのだった。優れたドキュメンタリーだ。