『〈狐〉が選んだ入門書』は有益なガイドブック

 山村修『〈狐〉が選んだ入門書』(ちくま新書)を読む。2007年6月初版発行、その月のうちに買っておいたが今回やっと読んだ。何となく入門書の紹介なんて……という気がしていたのか、読まないでいた。間違いだった。とても有益なブックガイドだった。
 山村は長い間サラリーマン生活をしながら、主に『日刊ゲンダイ』に週1回、〈狐〉というペンネームで書評を書いていた。それが25年続いたというから半端ではない。
 本書は、「言葉の居ずまい」「古典文芸の道しるべ」「歴史への着地」「思想史の組み立て」「美術のインパルス」という5つの章を立て、それぞれ5冊の入門書を取り上げている。8ページずつ全部で25冊だ。私が読んだことがあるのは、この内わずか2冊にすぎなかった。
 第1章「言葉の居ずまい」は硬い本が多く、あまり触手をそそられなかった。武藤康史『国語辞典の名語釈』とか、菊地康人『敬語』、橋本進吉『古代国語の音韻について』、里見紝『文章の話』、堺利彦『文章速達法』の5冊だ。武藤と菊地を除いて、戦前の出版物なのだ。
 第2章以降がおもしろい。第2章「古典文芸の道しるべ」では、萩原朔太郎選評『恋愛名歌集』が「万葉集八代集とのハンディーな詞華集ともいえる一冊」と紹介される。高浜虚子『俳句はかく解しかく味う』には200ばかりの句が引用され、読みほぐされているという。「この本はまた、しばしば俳句の読みかたの初歩をしっかりと説き、その上であらためて句をとらえかえしてみせます」。
 三好達治『詩を読む人のために』もおもしろそうだ。島崎藤村の「千曲川旅情の歌」を取り上げて、音韻を分析している。始めの2行には、母音Oの音がたいへん多い。そして、

  小諸なる古城のほとり
  雲白く遊子悲しむ

について、

  Komoro naru Kojo no Hotori
  Kumo siroku Yusi Kanasimu
とローマ字化してしめし、Oの効果を検証していきます。第1行には8個のOがあって、おなじ1音のOでも、それぞれの位置によって、その音量に微妙な相違のあること。第2行では、上半部でO母音が2度くりかえされつつ、同時にそこからU母音のくりかえしがはじまること。そのUの4回のくりかえしのうち、2回は明確なひびきをもつK子音をともなって、印象的に快く耳を打つこと。

 詩は音が重要なことを教えられる。
 窪田空穂『現代文の鑑賞と批評』も題名の印象と異なり、興味深い内容らしい。「窪田空穂の語り口はあくまで親和的で読みやすく、なおかつ高度に啓蒙的です。それに何よりも、読むことのうれしさが、たのしさが、文章のすみずみまでにじんでいます」。
 第3章は「歴史への着地」。岡田英弘世界史の誕生−−モンゴルの発展と伝統』はぜひ読みたいと思わされた。世界史はモンゴル帝国から始まったという。「(……)そうした地中海型の歴史文化と、中国型の歴史文化とを、(……)対比してみせ、そのうえで、そこにモンゴル帝国の出現というきわめて大きな歴史的ファクターをもちだし、このファクターによって2つのたがいに異なる歴史文化を単一に統合してみようという、ただならぬ試みがなされる(……)」。
 岡田英弘が言う。

現代の世界のインド人、イラン人、中国人、ロシア人、トルコ人という国民は、いずれもモンゴル帝国の産物であり、その遺産なのである。そればかりではない。現代の世界の指導的原理である資本主義も、モンゴル帝国の遺産である。

 知らなかった。モンゴル帝国の影響がこんなに大きかったとは! 大相撲だけじゃなかったんだ。
 遅塚忠躬『フランス革命−−歴史における劇薬』も興味深い。フランス革命の評価について、現代のフランス人たちにもひろく受容されている仮説「革命二分説」に対して、遅塚はフランス革命が全体として「劇薬」だったという仮説を提示する。革命二分説では、革命の前半くらいまではよかったが、後半にいたってわるくなったというもの。前半で貴族の反抗によって王権が麻痺し、後半でロベスピエールたちによって恐怖政治が本格化したと。それに対して遅塚のいう劇薬は、病気を治す効果はあるが、強い副作用ももっているというもの。「つまりフランス革命は、旧体制を変革するという偉大な作用を発揮しながら、その作用がそのまま恐怖政治の悲惨をも引きおこす、そういう「劇薬」だったというのです」。本書が岩波ジュニア新書だということにも驚かされる。
 中村稔『私の昭和史』が取り上げられている。中村は弁護士で詩人であり、また版画家駒井哲郎の優れた伝記作者でもある。終戦のとき18歳。実父は尾崎・ゾルゲ事件のとき、主任の予審判事だった。その中村光三は「自分が出会った日本人のなかで最も偉いと思ったのは尾崎秀実、外国人ではゾルゲだ」と述懐したという。
 第4章は「思想史の組み立て」。詩人の金子光晴『絶望の精神史』に対して、アメリカ研究で知られる本間長世が「日本の近代化が1冊で全部分かる本」と言っているという。日本人に対する憎悪や呪詛を書き続けている金子。しかし、「ほんの1箇所、これこそが絶望の対極かと思われるような光景が書かれています」。それは、詩人が上海の娯楽センターの屋上で便意を催し便所に案内されたとき。暗い部屋のあちこちに大きな樽が置いてある。それに腰かけて用を足すらしい。詩人とむかいあって1人の老人が腰かけている。老人はやがて唐紙(とうし)をとり出し、2つに折ってそれを裂き、また折って4枚にした。そのうちの2枚を詩人にさし出した。詩人は「淡々とした好意のあらわれに、中国人の心の広く大きいものを感じたのが忘れられない」と書く。山村は、「ここを読んで、絶望という言葉の反対語は、希望というしゃらくさい言葉ではないとあらためて感じました」と書いている。
 岩田靖夫『ヨーロッパ思想入門』も岩波ジュニア新書だ。岩田はとりわけ、ユダヤ人哲学者レヴィナスについて熱情をもって語っている。「親兄弟を皆ナチスによって殺されたレヴィナスは、おそらく「自己」と「他者」との関係をもっとも徹底的に考えつくした哲学者のひとりでしょう」と岩村は書き、続けて、

 ここでレヴィナスが発見した「他者」すなわち「つねに私を超える者、私の期待を裏切りうる者、私を否定しうる者」としての他者が、じつは2千年前、イエスが「おまえたちの敵を愛しなさい」と語ったときの「敵」にふかいところで由来している。岩田靖夫の記述によって、そのことを知り、私は背筋にひとすじのふるえをおぼえました。感動というふるえでした。

 内田義彦『社会認識の歩み』も岩波新書という小著だ。これも読んでみたい。
 第5章は「美術のインパルス」、インパルスは「衝撃」だ。武者小路穣『改訂増補 日本美術史』は、入門書としての日本美術通史で、120ページほどの小冊子に220点あまりの図版を配し、平明・簡潔にガイドする早わかりの「傑作」だという。しかも全史を1人で書いている。
 菊畑茂久馬『絵かきが語る近代美術』も読みたいと思った1冊。高橋由一を評価し、黒田清輝では絶筆の「梅林」だけを評価。また戦争画も絵画として評価するという。
 辻惟雄『奇想の系譜』と若桑みどり『イメージを読む』は私も読んでいるが、どちらも名著の類に入るだろう。
 購入して7年間も積んでおいたことを悔いたのだった。


“狐”が選んだ入門書 (ちくま文庫)

“狐”が選んだ入門書 (ちくま文庫)