鈴木正『狩野亨吉の研究』が復刻される

 鈴木正『狩野亨吉の研究』(ミネルヴァ書房)が43年ぶりに復刊された。狩野亨吉は慶応元(1865)年生まれ、帝国大学在学中に夏目漱石と親しくなる。若くして第一高等学校校長、のち京都帝国大学文科大学学長を務める。江戸時代の特異な思想家安藤昌益の著書『自然真営道』を見出した研究者として知られている。
 本書は1970年にミネルヴァ書房より発行されたものの、間もなく絶版とされた。古書業界では25万円もの値段が付けられたという。それが昨年9月に同じ出版社から復刊された。500ページを越える分厚い本で、「第一部 狩野亨吉の研究」「第二部 狩野亨吉遺文抄」「第三部 狩野亨吉関係資料」からなっている。大分な本なので拾い読みをしたに過ぎないが、狩野亨吉の業績がよくまとめられている。夏目漱石に関しては、「夏目君と私」という短文が収録されていて、漱石は狩野亨吉のことを「文學などといふものには門外漢で、小説などといふものは少しも解さないものと思って、著書などを出しても、1冊もくれないといふ風であった」と書かれている。
 狩野亨吉といえば安藤昌益の研究者であるし、なぜこれが絶版にされたのだろうと不思議だった。それが本書の「新装版へのあとがき」を読んで分かった。鈴木正による「新装版へのあとがき」から抜いてみる。

(……)この本が出てすぐ岩波書店ミネルヴァ書房にクレームをつけた。岩波の資料を勝手に使って怪しからんというのだ。岩波の『思想』に、この資料を使って執筆した時は何もいわなかったのに……。
(引用者注:この資料というのは、岩波に保管されている狩野亨吉の資料で、当時岩波書店の専務だった玉井乾介から活用するよう勧められたもの)
 当時、岩波書店の最高実力者だった小林勇氏は、その直前たしか『小説 狩野亨吉』といったとおもうが、フィクションを交えた本を出したばかりの頃だった。そしてあとで聞いたところによると玉井さんとは肌が合わず仲がよくなかったとのこと、自分に断りもなく外部の者(私)に資料を見せたことを咎めて追求したらしい。玉井さんは辞職してシンガポール日本語学校に移ったと聞いている。私への便宜が仇となって迷惑をかけ、すまないことをしたと思っている。
 あとになって1986年9月30日に岩波書店の緑川亨さんからいただいた手紙には「狩野亨吉の資料に関する件は、すべてはるか以前のことであり、現在の岩波書店において何の問題とすることはございません」と記されていた。
 私は本書に序文を書いてくださった古在由重さんに間に入ってもらおうとしたが、「これは古在さんや鈴木さんとの問題でない」、岩波とミネルヴァの問題だといって、京都まで出向いて残部を断裁してしまった。ところが不思議なことに謝罪公告も断裁の事実も公にせず、何もなかったかのような処理ですませてしまった。(中略)
 そんな経緯からこの本は、ある書評紙によると、戦後に刊行された著作のなかで最も高い値段がついたものとして紹介されたことがある。神田神保町の老舗の立派な古書目録には25万円、大阪のある古本屋では17万円となっていた。7万円の海賊版も出たらしい。著者としては驚きである。(後略)

 上記中、「岩波とミネルヴァの問題だといって、京都まで出向いて残部を断裁してしまった」のが誰だか分かりにくい。当時のミネルヴァ書房の社長だろうか。
 本書第一部に「狩野亨吉ドキュメント」と題する章があって、そこに小林勇「狩野亨吉の死」という4ページほどの文章が載っている。まさに最後の1日をドキュメンタリー風に綴った文章で、なかなか良いものだ。小林勇がなぜ出版を妨害したのか、よく分からない。


狩野亨吉の研究 (ミネルヴァ・アーカイブズ)

狩野亨吉の研究 (ミネルヴァ・アーカイブズ)