笠井献一『科学者の卵たちに贈る言葉』を読む

 笠井献一『科学者の卵たちに贈る言葉』(岩波科学ライブラリー)を読む。副題が「江上不二夫が伝えたかったこと」とあり、江上不二夫をWikipediaで検索すると、

江上 不二夫(1910年11月21日 - 1982年7月17日)は日本の生化学者。戦後日本の生化学を牽引した一人。日本学術会議会長、国際生命の起源学会会長等を務めた。東京生まれ。考古学者江上波夫は兄。

 とある。

 著者の笠井献一は著者略歴によると、

1939年生まれ。1962年東京大学理学部生物化学科卒業。同大学大学院化学系研究科生物化学専攻博士課程在学中にフランス政府給費留学生としてパリの生物物理化学研究所で研究に従事。(中略)1979年より帝京大学薬学部教授、2010年より同大学名誉教授。専門はアフィニティー技術、糖鎖生物学。(後略)

 となっている。その笠井が大学での恩師江上不二夫の言葉を伝えようと執筆したもの。通読して、笠井の江上に対する大きな敬意が好ましい。
 本書は毎日新聞村上陽一郎が書評を書き、強く推薦していた(2013年9月8日)。

東京大学の理学部に生物化学の教室をつくるにあたって、名古屋から招かれた学者、言ってみれば日本の生化学の生みの親の一人が江上である。(中略)今でこそ、ライフ・サイエンスと名も広げて、この分野は内外共に花盛りだが、評子と同世代の学生たちが、眼を輝かせ、熱誠を漲らせて、この未知の分野に挑もうとしていた有様を、昨日のことのように思い出す。そして、かれらの中心に、無二の求心力を持った江上不二夫がいた。本書は、その第3期の学生だった著者が、熱い思いを籠めて綴った江上の言行録である。

 研究者には、遺伝子の二重らせんを発見しノーベル賞を獲得したワトソンのように、競争相手を蹴落とし成功に向かって奔走するタイプが多い。それに対して江上は、「研究はスポーツ競技じゃないんだから、目的は他人に勝つことじゃないよ」と言う。
 ノーベル賞をとれるチャンスだったRNAの構造決定という大仕事に乗り出さなかったのはなぜか、と問われて江上はこう答えたという。

そんなことは私の趣味に合わないし、使命に反しているの。tRNAの全構造を決めるような大仕事をやろうとしたら、細切れにした切れ端を一つずつ弟子たちに分担させ、いっせいに同じことをやらせなければならない。こんな中途半端な、独立していない仕事をやらせては、未来の科学者が育たない。弟子たちを歯車にしてはいけない。小さくても、他人とははっきり違う独立したテーマをもたせて、責任をもって仕事を進めさせるべきです。私の使命は科学者を育てることであって、自分の目的のために弟子をこき使うことではありません。

 書評の村上は続ける。

 しかし、この本は、もう少し別の面も持っている。江上の類稀な科学者としての個性を明らかにするところに本書の目的があるからだ。それはある意味では破天荒とでも形容するほかはないものであった。なりふり構わず、思いついたことは、何でもしゃべってしまう、繰り返しが多く、周囲の思惑など薬にしたくもない。そうした言動のなかに、後輩たちにとって宝物と言うべきアイディアが山ほど溢れている。誠実な実験以上の教師はない、流行を追っても仕方がない、つまらない研究なんてない、結果が得られたら必ず発表しなさい……。様々なテーマの可能性のほかに、折りに触れて語られるこうした研究指針に頷く人も多いだろう。ただ著者に言わせれば、江上に1メートル以上近づくのは危険。早口、高音、強音の言葉と唾きのマシンガンが襲うからだ。
 小さな本だが、無類に面白いし、若い人でなくてもためになる。

 独創的であることに囚われることはない。自分の仕事を大事にして、自分のペースで仕事を続ける方がいい。そうやっているうちに予想もしないすごい発見ができるかもしれない。つまらない研究なんてない。つまらなそうに見えることだって、いつか重要なこととの接点がきっと見つかる。初めから重要だった研究なんてない。今、重要だと思われている研究だって、みんな誰かが重要なものにしたんだ。流行の研究に乗り遅れるまいとするのではなく、自分の手で重要な研究に育てなさい。実験が失敗したら大喜びしなさい。実験が過ちを犯すことなんてない、過ちを犯したのは実験をやった人間の方だ。
 江上不二夫語録は魅力的だ。笠井は良い師に出逢えたと思う。つくづく中国の古い言葉、千里の馬は常にあれども伯楽は常にはあらず、の正鵠なることを思い出す。
 ひとつだけ江上の忠告が間違っていたと笠井が書く。フランスへ留学するとき、ダンスなんか習っておかなくていいよ、ダンスができなくても何も困らないよ、とアドバイスされた。フランスへ行ってみると、ことあるごとにダンスパーティーがあり、せっかくパーティーに誘われて行ってみても、ダンスができないのは致命的だった。ちゃんとダンスを練習しておけば、フランス生活はもっと華やいでいたろうに、と。